教導体験談義
教生寺のはじまりは、師・教生の深い信仰体験なくして語れません。
その歩みの一端を、ぜひご覧下さいませ。
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※お話は随時追加いたします。
教生寺のはじまりは、師・教生の深い信仰体験なくして語れません。
その歩みの一端を、ぜひご覧下さいませ。
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※お話は随時追加いたします。
昭和54年ごろの出来事です。
昭和54年ごろの出来事です。
私がこの可愛らしい女の子(A子ちゃん)にお会いしたのは彼女が中学一年生になったばかりの春でした。
A子ちゃんは母と二人暮しの母子家庭です。近くにお婆ちゃんが一人暮らしをされており、比較的近くに母の兄である伯父さん家族が住んでいました。母親はA子ちゃんが幼い時に離婚し働いておられたので、お婆ちゃんが随分手助けされてA子ちゃんを育てられたそうです。 このお婆ちゃんからA子ちゃんの事についてご依頼を受けました。
小学校六年生の頃より様子がおかしくなり、中学に入学してからはその学校の不良グループと付き合い始め、夜更かしや親の言う事、私の言う事(お婆ちゃん)も聞かなくなり遊びに耽っているとの事です。何とかならぬものかと色々な方に相談し、御祈禱等もして貰い、さらにお婆ちゃん自身一生懸命仏様におすがりされているとの事でした。
私はこれは大変な事だと思い早速仏様にお伺い致しましたところ、『心一帰信にすがってくるならば助けてやる。』とのお答えでした。このお知らせを聴き、たいそう喜び、「有り難い、 どうぞ宜しくお願い致します」と言ってその日はお別れしました。
後日お婆ちゃんを訪問した時に娘さんも来られたので、いちどA子ちゃんに会ってみたくなり娘さんとご一緒してお家へ行きA子ちゃんの帰りを待ちました。
午後4時過ぎに帰ってきまして家へ入るなり私の姿を見て「坊さん、私にいくら説教しても無駄よ。 お母さんにしてやって!」と言って母親に500円よこせとせがみ、貰うと同時に外で待っていた不良グループの一員らしき女の子と何処かへ出て行きました。
私は内心これはえらい事を引き受けてしまったものだと思いましたが、仏様が助けてやる、立ち直らさせてやるとおっしゃられたのだから信ずるしかないと思い、今後どの様にしたら良いかを仏様にお伺い致しました。
仏様のお答えによりますと、A子ちゃんが悪態を言い非行グループに入ることになったのはお婆ちゃんに一番の原因がある、 次に母親に原因があるとのことでした。
このお婆ちゃんは非常に勉強家にて頭も良く、姓名学や気学等色々の知識を学び大勢の人たちに名付けや改名、運勢の相談を受けるなど人助けをされているお方でした。お婆ちゃん自身と娘さんも改名しておられたようでしたが、それを仏様から良い名前ではないので改名しろとのお告げにてお二人ともまた改名されました。(私の名を改名して下さった先生にお願いしました)さぞかしお婆ちゃん内心悔しかったことでしょう、そして信心の心掛けが悪いとかお参りの仕方が悪いとか散々けなされ、さらに度重なる私の訪問への対応などでお気を使われたことと存じます。
(後日お婆ちゃんの知人より聞きましたが、本当に度々訪ねて来られた時には内心もうお断わりしようかと思ったこともあったそうです。)私も誠に良く何故か訪ねて行きご厄介になりました。お婆ちゃんも時には用事があった事でしょうが私が参る度に尊いお志しを下さいました。仏様がお婆ちゃんの一心をお試しになられていたのだという事が後でわかるのです。
ひと月半たった夜の九時ごろお婆ちゃんより電話があり、「息子が風邪をこじらせ脊椎にバイキンが入る病にかかり、今日救急車で入院しICU(集中治療室)におります。 自分は無菌室に入って行けず看病もままなりません。ただ仏様にお祈りするより他にしょうがありません。何卒佛様にお頼み致します。」というご依頼でした。
早速佛様にお伺いしてみましたところ、『ワシにすがってくる前に別の所へ先に祈禱の依頼をしておるではないか、ワシに(佛様)何事も一心におすがりします、もう他へは頼みませんと先日申したではないか。あの心と口は何処へ行ったのじゃ?この祈禱は受ける訳にはいかぬ。』とのご返事でしたのでそのままのお答えをお婆ちゃんに伝えてみると、
お婆ちゃん曰く「誠にその通りでございます。佛様は何もかもお見通しですね。 あなた様の佛様は誠に尊いです。先日の言葉がウソになってしまいました。」と申されて本当に心服された様子でした。
そして「何卒佛様にお詫びを申してくださいませ、 どうか息子をお助けくださいませ、高熱で苦しんでおります。お医者さまは絶対に回復するとは保障してくれず、植物人間になる可能性も有りますが、とにかく今は出来る限りの治療をするということです。どうぞ何卒お助け下さい!」と重ねて救いを求めてこられるのでもう一度佛様にお伺い致しますと、
良くなるとも悪くなるとも申されず、ただ『一番目に祈禱を頼んだ所へ三日行き、どんな無理難題を言われても死ねと言われぬ限り他のことは努力しますと申せ、さらにその祈禱師に三日で祈禱の証を示して下さいとお願いし、お金のことを言われたら手形を書け、
もし治ったら(三日で病状が快方に向かいだしたら)払えるかぎりの金額を渡すのじゃ。この一番目の祈禱でダメなら二番目の祈禱師に連絡して一番目の所と同じ事を申して頼んでみよ。 生きるか死ぬかの命のかかったことだからと申して頼んでみよ。両方で良い結果が出なかったならば六日目の夜九時に当寺へ電話をよこすのじゃ。』とのお言葉でした。
そのことをお婆ちゃんに伝えますと、力ない返事でやってみますとのことでした。 お婆ちゃんの落胆した様子に、佛様は随分厳しいお方だと私自身つくづく感じました。
心配した通り六日目にしてお婆ちゃんから電話がきました。お婆ちゃんが申しますのには「先日おたくの佛様のお言葉通りに致しましたが息子はいまだ高熱が続き苦しんでおり、病状は一進一退です」との事。
(一番さんの所ではご先祖のお墓参りに行くようにと言われ、またお婆ちゃんのお父さんが信仰していたところへお参りに行くようにとも言われ随分遠くまで参られたそうです。不思議に二番目の所でも同じ内容の教示を受け言われた通りを実行し、さらに女ばかりで一升の米を恐いながらも二階より家のぐるりへ蒔いたそうです。)
佛様にお伺いさせて頂きましたら、『明日写経を一巻送る、それを息子の枕の下に置くように。』とのお答えでした。お婆ちゃんにそう伝えますと、それがまた難題だと言うのです。息子はいま無菌室におり、写経は有り難いのですがお医者さんが許可してくれるかどうか心配だと申されるので、再度佛様にお伺いしましたがお答えは有りませんでした。
翌日佛様のお知らせ通り私は般若心経を写経し、それを御祈念して速達にて郵送しました。後日お婆ちゃんが申されましたが、七日間最新の医学による懸命の治療にかかわらず病状は悪化に向かっており、切羽つまって息子の命を自分で助ける思いにかられ写経を是非息子の枕の下へ入れてくれるようお医者さんに強引に頼んだそうです。
お婆ちゃんの気迫に押されたのか、ようやくお医者さんが許可しました。その翌日、息子さんの高熱が三十八度位まで下がりました。お医者さんも随分不思議がられたそうですが、とにかく良くなったのは何事につけても良い事ですと申され一般病室へ移して下さったそうです。
それから一週間ほどしてまたお婆ちゃんから電話がありました。おかげ様で一般病室に入れましたがどうしても八度より下がりませんとの事。佛様にお伺い致しましたら、 明日もう一巻写経を送り同じく枕の下に置くようにとのお知らせを頂きました。
息子さんが退院した後知ったのですが、写経二巻枕の下に置いた日にお婆ちゃんはふともしや薬のせいではないかと感じ、薬を変えて頂く様お医者に頼んだのです。
お婆ちゃんのお願いが不思議なことにすんなり認められ、別の薬が息子さんに投与されました。 奇しくも時を同じにして平熱に下がり始めました。このお婆ちゃんにもいくらか霊感がありそうです。
夏休みになりましたが未だA子ちゃんは不良グループをやめていませんでした。
いつになったら佛様はお助けになるのか気になりだした頃、お婆ちゃんから電話があり、あわてている様子で声も震えているように聞こえました。
娘(A子ちゃんの母親)が今日急性肝炎にて入院したとのこと、お医者さんによるとここ2~3日が危ないのでご家族みんなでよく見てやって下さいとの診断でした。どうか娘の命を助けて下さいとのお願いでしたので急いで私は一心に佛様にお伺い致しましたところ、
『ワシが必要があって病気にしたので心配はいらぬ、祈禱もせんでいい、他に頼むと死ぬぞ。今回は何処にも電話せず一番に掛けてきたな、一生懸命看病してやれよ。』 とのお言葉でした。
私もお婆ちゃんも前回の息子さんの件がありましたので、佛様のお言葉をとても力強く聞かせて頂き、また信じました。しかし内心は佛様が如何なる理由で命に関わる程の病気にしたのだろうか気になりました。
娘さんの病気も佛様がおっしゃる通り回復し夏休みの終わり頃に無事退院されました。ほっと一安心です。
それから不思議なことが起こったのです。二学期が始まった初日はA子ちゃんも元気に学校へ行きましたが、どうしたことか痛々しく帰ってきました。集団で暴行を受けたらしく、尋ねてみてもその訳を言いません。
次の日は大事をとって休み、翌日に登校しましたが二度目の暴行を受けて帰ってきたそうです。お婆ちゃん、母親そして先生も心配して尋ねてみたところ、A子ちゃんが不良グループから抜け出たいとその者達に言った為やられたのです。
先生が学校でグループの者によく言い聞かせたのですが、 治療して一週間後、彼女が学校に行くと学校帰りにまた暴行されたそうです。 お婆ちゃんも随分心配され私にどうしたら良いのかを電話にて聞いてきたので佛様にお伺いしたところ、
『別の環境で勉強できる機会を与えるのじゃ。』というお答えでした。これをお婆ちゃんに伝えますと、別へ移ると娘は仕事場から遠くなるのでそれは難しいとのことでした。
佛様曰く『本当に馬鹿者たちじゃ! このような馬鹿な親をもつから娘が非行に走るのじゃ!娘の立場をよく考えず自分の都合の良いことばかりを考えおって。それなら娘がもとに戻ってもよいということなのか?』というお答えでしたのでそれをお婆ちゃんに告げましたところ、
しばらく間を置いてから「大変申し訳ございませんでした。そのようにさせて頂きますので何卒佛様にお許し頂けます様お願い致します」との返事でした。そこで親子ともども別の町へ引っ越しする決心をしたのです。
別の学校に移ってからは昔の事がウソのように勉強に打ち込むようになり、親も子供の気持ちをくんで家庭教師をお願いしたそうです。 幾日かの日々が流れ、ある日お婆ちゃんの家で娘さんとA子ちゃんに再会しましたが、前回会った時とはまるで別人のようなとてもやさしい女の子に変身しておりました。
最初にお会いした時この子がどう更正するのか心配でなりませんでしたが、ある日突然グループから抜け出そう、こんなことではいけないと自然に思う気持ちになったから不思議です。
だれがお説教しても耳を貸さないこの子が急にこのような心の変化を起こしたのです。いやはや、本当に佛様のなされることは我々凡人には計り知れないもので、ただただ御力の偉大さに驚嘆するばかりです。
今思えば、おそらく佛様がお母さんを急性肝炎にされ、生死の境界をさまようお母さんをA子ちゃんが必死に看病するように仕向けたのでしょう。そのときA子ちゃんに心の変化があったのでしょう。
親ひとり子ひとりの家族です、芝居でもほんとうにこのようには出来ません。お婆ちゃんも随分佛様より色々とお試しを受けましたが良く幸抱されました。私がお婆ちゃんの立場なら途中で別の祈禱師のもとへ(もっと楽なことをお告げして下さる人の方へ)行ったかもしれません。今こうして書いていると無性にA子ちゃんの事を思い出します。きっと立派に成長していることでしょう。
お婆ちゃんとはその後しばらく御縁がありましたが(人間色々と悩み事があり、また幸せになりたいと願います)、のちの願い事は以前ほど切羽つまったものではなかったのか、私の信ずる佛様の厳しいお言葉を信じられず、御縁が遠のいてしまいました。なかなか過去の運命の転換は心の底より苦労のいることです。
その後の息子さんの事ですが、元気で退院された後お電話があり、佛様より頂いた御写経を一年間枕の下に置いて寝てよろしいでしょうかとのご質問がありました。
佛様曰く『それは誠に良い心掛けじゃ、そうするが良い。』とおっしゃられました。 息子さんの信心の心と誠実さに私は心を打たれ、早速佛様に息子さんへの御加護・御支援をお願い致しました。
仕事に戻られた息子さんはいくつもの特許を取得し会社に多大な貢献をされ、若いながらも次長に昇進されたそうです。収入も増え、お婆ちゃんへのお小遣いも増やされたそうです。
私も一時ではありますがお婆ちゃんから尊いお布施を何度となく頂いておりましたので、きっと佛様がお返しして下さったのだなーと感謝しました。私もこのご家族のおかげで貴重な体験をさせて頂きました。
世の親がた、無知無関心そして親のエゴで子育てをしていると非行は子供さんの すぐそこまで忍び寄って来ます。
非行少年少女を抱えている親がた、今一度自分自身を見直し己れを戒めることが大切です。どんな人間にも心の中に佛様のような心を持っているものです(善の心)。
そしてその心を引き出し更正させ、 暖かく育てていくのは親である貴方たちなのです。
心一帰信(しんいっきしん)とは、ただひたすら一佛一神を信じ帰依することであります。
合掌
Sさんという女性が私と親交の深い和尚さん御夫妻に連れられて、私の元に見えられました。
Sさんという女性が私と親交の深い和尚さん御夫妻に連れられて、私の元に見えられました。
Sさんの悩みは、毎夜毎夜男性の幽体が襲いかかり金縛りに掛かったようになり、夜もぐっすり眠れず朝起きても体の疲れが取れません、そして日中の仕事もなかなかはかどらない事です。
幽体にさいなまれだして数年立ち、色々な所でお伺い御祈禱などをして頂き、自ら深く信心しているにもかかわらずどうもやまりません。黒い色にて人のからだと同じ大きさに見えるこの男性の幽体が襲って来なくなる様にと、私の御本尊様に救いを求めてこられました。
幽体が現われる時Sさん曰く、まず表玄関に来たのが分かり次にドアをスーッと通って寝ている自分に布団の上からバサッとおいかぶさって来るのだそうです。
Sさんはやせ形で色白の綺麗な方で一人暮らしです。遠路はるばる私のような未熟者の所へ訪ねて来て下さったので、心を込めて御本尊様にSさんのお話を申しお伺いを致しました。
御本尊様はまず、Sさんは自分の家にてどうお祀りされ拝んでおるのかとのお言葉でした。Sさん申すに、「 家は禅宗にてお釈迦様と達磨大師様と道元禅師様をお祀りしております。そして他の御祈禱師からの勧めで観音様の掛け軸と、自分では身に覚えの無いのに水子があるので祀ってあげなさいと言われ水子の位牌もございます。お経は朝早く起きて出勤前に般若心経21巻お唱えさせて頂いております」ということでした。
御本尊様のおっしゃられるには、お経の般若心経のお唱え21巻を7巻にしてみよ。との事でした。さらに、観音様の掛け軸と水子の位牌は除けよ。とのお言葉でした。
Sさんも同行の和尚ご夫妻も共々に口をそろえて、どこへ行ってもお経を増やせと申す所はあっても減らせと言われる事は無かったと申され納得がいかぬ様子でした。
私はSさんに、仏様は何かお考えがあっての事でしょうから信じて頂くしかない、 仏様は心一帰信・諸願成就と申されていますとお伝えし、その晩泊まって翌日帰られました。
翌月Sさんと一緒に来られた和尚さんの所へ参った折、Sさんにお会いしましたので、その後如何ですかと尋ねたところ、ダメですとの返事でした。
がっかりしましたが御本尊様にお伺いしてみたところ、先日申した事を何一つ実行していないとのお知らせでした。Sさんに伝えてみると、びっくりしてハイその通りですと答え、誠に申し訳ありません実行しますと言い別れしました。
また翌月お会いする機会がありましたので如何ですかと聞いてみると、まだダメですとの事。 なぜなのかを御本尊様にお伺いしましたらお答えに、観音様の掛け軸と水子の位牌は除けておるがお経を7巻にしていないとのお言葉がありました。
その旨をSさん に伝えると、「その通りです。どうしても7巻にしなさいとのお言葉が信じられず、色々なお方に尋ねてみましたら少なくしない方が良いと言われ、未だ21巻お唱えしております。仏様はお見通しですね、申し訳ありません。必ずお言葉通りに致します。」と、おっしゃり別れました。Sさんだけでなく、どなたさまにでも仏様のお心を信じて頂くには時間と苦労がいるものです。
三ヵ月後、私が和尚さんの所へ寄せて頂いた折り、Sさんがニコニコとした笑顔でおられたので7巻にしたのですか?と尋ねると、
Sさん申すに「早く7巻に減らすべきでした。最後にお会いしてから数日間、21巻お唱えしていましたがやはり幽体が出てきます。あなたのお言葉を思い出し、よけい悪くなってもいいという覚悟で実行してみたところ、その夜不思議なことがありました。
幽体はいつものように玄関の前に現われました。(その時心の中で7巻に減らしたのにやっぱり来た、今夜はどんなにひどくされるであろうと思い、仏様とあなたを恨みました。)
幽体はドアをスーッと通り抜けて居間を通り寝室に来ました。私が覚悟を決めた時、幽体は突然布団の縁で止まり私をジーッと見たあと何もせずにスーッと立ち去ってしまいました。翌朝も7巻お唱えしましたら、その夜幽体は土間まで来たあと帰ってしまいました。次の夜は、玄関の前まで来ていたみたいでしたが入ってくることもなくおとなしく帰ってしまいました。 4日目からは何も感じなくなりぐっすり眠れるようになりました。」と言い、何度も私に厚くお礼を述べられとても嬉しそうでした。
Sさん、21巻お唱えしていた時は時間的な制限がある為、お経が軽く真心がこもっていませんでしたが、7巻にするとお経をゆっくりそして心を込めて唱える様になり、お経が本当に有り難く思えたそうです。
後ほどSさんの知人から聞いた話ですが、Sさん自分では気が付いていないらしいのですが、あるお寺のお祭りに参加された折り、帰りが夜遅くなったのでお祭りに来ておられた男性に家まで送って頂いたそうです。そのとき車の中で男性に、良ければ遊びに来て下さいと申されたそうです。始めに書いた様に、Sさんは男好みのタイプの女性です。ひそかに想いを掛けられるような言葉を言われる不用心さが、苦しみの原因を作ってしまったのかもしれないのでは、と思いました。
この体験を通して自らも、言葉の一言一言の大切さが身にしみました。 皆さんも不用意な言葉に気をつけましょう。
合掌
ご家族は父親78歳、母親73歳、長男さん35歳そして奥さん29歳、同居暮らしです。
ご家族は父親78歳、母親73歳、長男さん35歳そして奥さん29歳、同居暮らしです。
他にも次男さんがおられ、結婚二年目に子宝を授かり幸せに暮らしております。このご家族とは長男さん夫婦の結婚前より知り合いの間でした。
結婚四年経っても子供が授からないころ(奥さんは3~4軒の病院に診て頂き治療を受けておりました)、私は一度その両親に対して、お宅の長男夫妻には仏縁を頂けたなら子供を授かるよと伝えてありましたが信じて下さりませんでした。
その後三年の月日が流れたある日、両親より相談を持ち掛けられました。
母親曰く、「むかし貴方が、私達息子夫婦が仏縁があったら子供が授かりますよ、とおっしゃって頂いた事がありますが、それは今でも変わりありませんか?」とのお尋ねでした。
長男さん夫婦が結婚して以来孫の顔を見るのを一日千秋の思いで待っておりましたが、七年目に入ったのに妊娠の気配無く、家の中が暗くてたまりませんとのことです。 是非私を通じて仏様より仏縁を賜れます様お願い致しますと求められ、さっそく御本尊様にお伺い致しましたところ、
『息子夫婦には子宝はあるが、とある原因があって授からないのだ。その原因は両親にあり、どのような原因かは言わないが原因解消の為の方法を教えてやろう。 まず高野山奥の院の弘法大師に般若心経百巻写経し、一巻につき*千円奉納金を添えて送るのじゃ。次に両親どちらかがお四国を車で良いから一回にて全部順拝し、子宝を授かるようにお願いせよ。』 とのお言葉でした。
母親が申されるに、主人は高齢と病気がちですので、自分が御写経奉納とお四国順拝も致しますと申され帰られました。
三月より御写経を始められ、一ヵ月十枚奉納とし、第一回目を四月から送り始められました。またお四国は五月に妹さんと一緒に順拝されました。
母親がお四国を回り終えて間もなく、長男夫婦が揃って各自の体を調べてもらいに病院に行くようになりました。(この奥さんは先に述べた通り四年間ほど治療に通われた後、何の変化もないので自分だけが悪いのではなく、夫の方にも何か欠陥があるのではないかと思い、主人に一度医者に見てもらうようにと言いましたが、彼はそれを全然聞き入れず無視しておったのです。それで奥さんもそれ以来全然治療に通わなくなっていました)
診断では、息子さんには充分生殖能力があるとのことでした。 そこで奥さんは自分に原因があるものと納得して治療して頂き、早くも二回目の治療後に妊娠したのです。奇しくも母親が御写経奉納されだして五ヶ月目の事でありました。
こうして翌年六月、ついに元気な女の子が生まれました。私はこの子の誕生を非常に喜ぶとともに御本尊様の御力の偉大さを今一度感じました。
話は変わりますが、この兄嫁さんの里の母親(Cさん)は長年にわたり、ある老女より人生の事、商売の事等について霊示を授けて貰っていたのです。
Cさんは娘夫婦に結婚後二~三年子宝が授からないのでこの老女に霊視してもらったところ、”心配するな、男の子の顔が二人見えている”とのお知らせだったそうです。
さっそくその話を娘夫婦とご両親に伝え、一同安心していたそうですが、私はそのお話を聴いた時、長男さん夫婦の場合、御本尊様のお教え通り仏縁無くして子宝を授かることはありえないと確信致しておりました。
案の定、老女の霊視をしてもらってから長い年月を経た末に生まれてきたのは男の子ではなくて女の子でした。 霊感師の老女は御本尊様として観音様をお祀りされておられたそうですが、どうして女の子が生まれたのに男の子が生まれると見えたのでしょうか?本来の観音様の霊示ならば私の御本尊様と同じ霊示でなくてはならないはずです。
私の感ずる所、 この老女には正しい霊界との縁が無かったのです。世間にはこの老女のような霊感師が沢山おりますが、真の霊感指導者と出会うことはなかなか難しいものです。
世の親がた、歳をとったからといって自分たちには宿業が無くなったと思ったら大きな考え違いです。気をつけましょう。
合掌
※お写経奉納金は各自の宿業と生活の状態によって変わります。
Aさん(女性)は一心に信仰されて、お大師様からお告げを頂き、小さいながらも大師講をされておりました。
Aさん(女性)は一心に信仰されて、お大師様からお告げを頂き、小さいながらも大師講をされておりました。
Aさん宅は四国霊場第二十九番札所国分寺 の近くにあり、お遍路さんにも縁が深くいろいろな方と出会っておりました。 その中で、金色の納め札を持って巡拝している、とても温厚そうで物腰の柔らかい松山市に住む先達さんと親交を深めていたようでした。
この先達さんが亡くなって数か月のことでした。私が知人の用事で二十九番札所におりましたところ、しばらくしてAさんがお参りに来られました。
先年私が友人とともにAさん宅で会ったときの面影は全くなく、死人寸前のような様子に驚きました。「Aさんでは。」と声をかけたところ、Aさんも気づき互いに挨拶をしました。
私は、「Aさん、どうされたのですか?」 と尋ねましたら、「もう何日も食事も取れず、眠ることも十分できず、このままでは死んでいくのを待つばかりです。」と言われました。私は先年お会いしたときに、”修行の足しに。”と五千円頂いておりました。
「私でよければをお大師様にお伺いさせていただきましょうか。」 と伝えますと、「お願いします。お願いします。」とAさんに頼まれましたので、 大師堂でお伺いしました。
お大師様にAさんのお話を申し上げますと、すぐお答えくださり、『この女の信仰上の知り合いで近々に死んだ者がおる。その者は地獄に行かなければならないが、それが嫌で心の通じ合っているこの女に取り付いてきておる。このままだとこの行者とともに地獄行きだ。』とのお言葉でした。
私は【そんなことがあるだろうか】と初めてのことで驚きましたが、Aさんに伝えますと、「ええ、おります。松山の行者さんで金の納め札で巡拝されていた方で、親しくさせていただいておりました。この方はとても温厚で穏やかな立派な方でした。」と信じられない様子で言われました。
お大師様に申し上げますと、『私の言葉を信ぜずば、このままでおればよい。その者と地獄へ行ける。』とのお言葉を頂きました。Aさんに伝えますと、うろたえて「まだ死にたくありません。お助けください。」と切実に言われますので、お大師様に申し上げますと、
『それなら、その行者から貰(もら)った品物等、どんなに高い価値のあるものでも、マッチの軸一本に至るまで命惜しくば処分せよ。家にある行者の縁あるものすべて出し、お前の心の中の行者の品物とともにわしに救ってくれとすがってこい。出した品物は高野山でもお前の知人の僧のところでもよい。送って処分してもらえばよい。 さすれば助けてやる。』とのお言葉を頂きました。
Aさんに伝えますと、「わかりました。貴方様の言葉をお大師様のお言葉と信じます。早速帰って実行します。」と、嬉(うれ)しそうな表情で言われ、お断りしましたのに三千円置いて帰られました。
一週間後の夕方電話がありました。「おっしゃっていただきました通りにしましたら、あの日から少しずつ快方に向かいだし、数日ですっかり元の元気な体調になりました。ありがとうございます。」とお礼を言ってくださいました。 電話でも、「金色の納め札のあの方が…」というような口振りでした。
御本尊様に「どうしてこの方が私をして助けていただけたのでしょうか?」とお伺いしましたら、『先年(Aさんが)無心で(私に)修行代の足しにと五千円くださったのが良かったのだ。』と教えていただきました。
この話にそっくりな話が他の体験談にあります。子宮ガンの五期六期にもなっていた女性が助けていただいた話です。
それから数年後、A子さんは金の納札の行者さんと同じ胃癌になり、亡くなったそうです。私としては胃ガンになったときに、或いは闘病中に、電話の一本でも頂いておればと残念でなりません。 やはり※丼(どんぶり)が汚れているのが原因だったのでしょうか。
このAさんとは友人の僧正さんを通じて御縁ができたのです。Aさんは元気な体調になったあとは、僧Eさんを頼りすがっていったのでしょう。僧正さんは、Aさんがガンになる前に死人同然の状態になっていたことも、それが元気を回復したことも知っていたのに、Aさんが胃ガンになったことを私には黙っていたことが残念でたまりませんでした。
丼が汚れているのが・・・・。と反省の日々です。 Aさんが胃ガンと分かってからの日々をどのような心境で、どのように行動をしていたのか知りたくて、Aさんの一番弟子の女性に会いたいことを僧正さんに伝えましたが、御縁を頂くことができておりません。
合掌
※丼(どんぶり)が汚れている・・・昔、仏様が私の信仰を”うどん”に例えて、『”麺”や”つゆ”は日本一旨い(信心・努力など)、しかし”丼”が日本一汚い(人間性のこと)。』
そして、『お前ほどすぐムカッ腹をたてる奴はおらん』とご指導を頂きました。
『“丼”(人間性)はその人の様々な行動や発言でも汚れるが、その中でも ”腹をたてること” が特に”丼”を汚すことになる。』とのお導きでした。
南無大日大聖光不動明王様の御開帳日に、御本体の所にお参りに行かせていただいておりましたところに、A子さん(55歳くらい)が私を訪ねてこられました。
南無大日大聖光不動明王様の御開帳日に、御本体の所にお参りに行かせていただいておりましたところに、A子さん(55歳くらい)が私を訪ねてこられました。(この方は専業主婦をされておられました)
A子さんは、「私はある行者さんのところへお参りに行っております。娘がおりまして、世間の親のように、”娘が若いうちに良い縁談にめぐまれて、結婚させていただけますように。”と行者さんにお願いしましたところ、”主人も一緒にお参りするように。”と言われました。
家に帰りまして主人に伝えますと、”わしはお前が信仰することには口出ししておらん。自由にお参りできるようわしなりに協力しておる。それで良いではないか。”と言って一緒にお参り行ってもらえません。
行者さんにお話ししましたら、”一緒に神仏にお頼みしましょう。”と言ってくださり御祈祷をお願いしました。 “主人が一緒にお参りしてくれるようになりますように。”とお願いしまして、はや三年たちますが、主人は一向に一緒にお参りに行ってくれそうにありません。一緒に頼みにいきませんと娘の縁談祈願がかなわないので困っています。」と話されました。
早速御本尊様にお伺いしましたところ、 『この女は横着じゃ。自分本位の考えばかりして自らの至らぬところを直そうとせず、幾ら神仏に祈ったところで願いがかなうわけがない。 (A子さんに)わしから尋ねたいことがあるので問うてみよ。 それは(A子さんの)主人が仕事から帰ってきたとき、(A子さんは) どんな態度で主人を迎え食事を出すのか。』という御返事でした。
A子さんに御本尊様のお言葉を伝えますと、「はい。主人は車で帰ってきますから車庫に車が入るとすぐわかりますので、食事の支度をします。もちろんお風呂も沸かしてあります。新しい下着も出してあります。
玄関に主人が入ってくるとき”お帰りなさい。”と言います。主人はすぐお風呂に入りますので、風呂から出ると食事ができるように用意します。 夏はビールを飲むので冷やしてあります。冷たいおかず以外食卓に並べておいて、私は御神仏に主人が元気で帰ってきましたことのお礼のお勤めをさせていただきます。
主人は風呂から出て一人で冷蔵庫からビールを出し、冷たいおかずも出し、テレビを見ながらビールを飲み食事をします。私がすぐ側(そば)でお礼のお勤めをしていますので、遠慮してテレビの音を小さめにしてくれています。」と言われました。
御本尊様より 『四季を通じて主人の湯加減も知らん女とは。自分でも考えてみよ。 疲れて帰ってくる。お風呂へザブーンと入りたいのに、湯加減がちょうどのときもあろうが、沸きすぎておったりぬるかったりしていると、 気持ちよく風呂に入れんじゃないか。また、風呂から出ると、夏なら汗くさい脱いだ下着があり、ときには臭い匂いがすることもあろう。 自分なら気持ちの良いことかー。
また食卓に座ってすぐグーッと一杯飲んでみよ。どんなに気持ちの良いことか。食事するときまで御神仏に気兼ねしながら、テレビの音も小さくして心までも小さくなって、おいしい食事もおいしさが半減するぞ。
お前がそんな態度じゃから主人が神仏に対すること、妻を通して見るから良い印象を持たないのだ。 よし分かった。わしがお前(A子さん)の立場なら、こうしよう。
主人が帰ってきたらすぐ風呂場へ行き、四季を通して主人の湯加減を見、沸かしたり水でぬるくしなくとも、ザブーンと入れる湯加減にしておき、
「お帰りなさい。お疲れ様でした。」と迎え、主人が風呂に入ると汗臭い下着をすぐ片付け、主人が風呂から出そうな頃合いを見計らって、ビールの栓を抜き食卓につくとすぐ飲めるようにし、ビールの一杯も注(つ)いでやり、テレビも音を大きくして聞こえやすいようにし、冷たいおかずも頃合いを見て出す。
そして主人に今日一日何もなかったかそれとなく話をし気持ちよく食事をしてもらう。
御神仏には心の中で感謝をし、主人が休んだら時間と暇があれば、無言か主人に聞こえないようにして御神仏にお勤めして休む。どうじゃ。お前と大分違うじゃろう。』 とお言葉がありました。
A子さんに御本尊様のお言葉をお伝えしましたら、 畳に泣き崩れて、「申し訳ありませんでした。私が信仰を鼻にかけておりました。誠に主人には申し訳ないことでした。よくわかりました。」と深く反省され、「帰りまして早速に実行いたします。」と涙を流しながら帰られました。
私もつくづく【仏様は偉いなあ】と感じました。私でも仏様からお言葉を頂けなかったらA子さんのお願いに対しては、御祈祷をさせていただくことしかできなかったはずです。
後日、A子さんがニコニコして尋ねてこられました。「帰りまして早速実行いたしましたら、その夜主人が”どこへでも一緒にお参りに行ってやるぞ。”と言ってくれました。あまりのうれしさに思わず涙が出ました。早速先日主人と一緒にお参りに行ってきました。」とニコニコしながら話され、お礼を言って帰られました。
一年後、三十番札所一宮善楽寺で、夫婦でお参りされている姿をお見かけしました。
このA子さんには、もう一話あります。
「娘が来年大学を卒業します。来年良い仕事につけますよう、御加護を頂きたい。」とお願いに来られました。
御本尊様より『自分で拝め。どれぐらいしたらよいかをわからぬじゃろうから教える。 (A子さんの家から)一番近くのお四国の霊場のお寺へ行って、大師堂で一日一時間以上10日間、お経をお唱えさせていただいてこい。一時間に一秒でも足りなかったら駄目だぞ。 』とお答えがありました。A子さんにお伝えしましたら、「頑張ります。」と帰られました。
翌年の春、再びA子さんが尋ねてこられました。ニコニコしています。私が、「娘さん良かったかね?」と尋ねましたら、A子さんは、「お陰様で80倍の競争倍率の会社に入社できました。有り難いことです。この会社の入社条件ではソロバンが一級の腕前でなくては採用されないのですが、私の娘はソロバンが三級の腕前ですのに、電卓を練習するという条件付きで採用してくれました。異例のことだそうで誠に仏さまのお力の偉大さを、改めて感謝する次第です。」とお礼を言って帰っていかれました。
それから三か月ほどたって再びA子さんが来られました。少し顔が曇った様子でした。
「娘が、”仕事がきつくて、どんどん自分だけ仕事がたまっていく。もうやめたい。”と言います。私は、”こんないい会社はめったにないぞね、もうちょっと頑張ってみたら。”と励ましましたが、帰ってくると毎日、 “辞めたい。辞めたい。”とため息をついています。何とか仏さまのお力で無事に勤めさせていただけるようになりませんものでしょうか?」と言われますので、早速御本尊様にお伺いさせていただきました。
『(A子さんの)娘は、入社試験の条件にあるソロバン一級のところを特別に三級で入れてもらったはずだ。それなのに(A子さんが)、自分がお参りに10回行き、合計10時間もお参りしたので自分の力が大半で入社できたように思い、先月お礼に来てくれたときの感謝の誠(お礼金) が余りにも少なかったので言わなかったが、娘の業務能力は「五」なのに一生懸命頼んできたので「十」の能力が必要で給料の良い会社に入社させた。
「五」の能力のものが「十」の能力が要るところに入ったので苦労のいくのは当たり前だ。だが他のところに伺いにもいかずに来たので言ってやろう。
前回と同じお寺で、五回五日間五時間以上お参りさせていただいて、今、わしが言った「5引く10はマイナス5」だから、マイナス分の「五」感謝の足りなかったことを十分に詫(わ)びて仏さまのお力を賜り、何とぞ何とぞ娘が会社を辞めることになりませんよう、続けて勤めさせていただけますようにと頼んでみよ。 』とお答えがあり、A子さんにお伝えしました。
「わかりました。誠に自分勝手な考え方で感謝が薄うございました。」とおわびを言われ、「数日の内に五回お参りさせていただきます。」と帰っていかれました。
後日尋ねてこられて、「本当に不思議です。五回お参りさせていただきましたら、娘が辞めたいと言わなくなり、おかげさまで元気に会社に行っております。」とお礼を言われました。
このときも、またまた薄謝でした。娘さんの収入が良いことはA子さんも得することなのに、自分の手元に現金が入らないので感謝ができないのです。
後日、「膝が少し痛いので。」と来られましたが、御本尊様には取り合っていただけませんでした。
合掌
この長男さんの御家族は、80歳くらいのおばあちゃんと両親との四人家族でした。
この長男さんの御家族は、80歳くらいのおばあちゃんと両親との四人家族でした。妹さんは8年ほど前に嫁に行かれておりました。
この御家族は、お四国巡拝の遍路道沿いで民宿をされておりました。十二番焼山寺に近く、 私は車での巡拝のときに、泊めていただいたのが御縁で、十数年にわたり何度もお世話になっておりました。
御家族は皆さんとても良い人でした。おばあちゃんは温厚でやさしく、私を孫のように接してくださいました。母親のおかみさんも、とても気さくでシャキシャキした心配りの行き届いた方です。 冬の寒い日に泊めていただいたときには、豆炭行火をそっと布団に入れていてくださり、「布団は必要なだけ掛けて休んでよ~」と言ってくださる、本当に心の温かい、いい方です。
長男さんが30歳になった頃から、おかみさんに、「教生さん、息子にいい嫁さんが来てくれるよう、頼んでよう~」と、 泊めていただくたびに、口癖のように言われておりました。
長男さんには何回か縁談があったようですが、まとまらず、37~8歳のときに、町内の娘さんとの縁談が進み,もう少しで結婚というところまでいっていたのですが、先方から断ってこられたそうです。
どのようなわけがあったのか、詳しいことは分かりません。おかみさんに尋ねもしませんでした。長男さんはこの娘さんが好きだったようで、縁談が壊れたのは、家業の民宿か、おばあちゃん、あるいは母親が原因だと考えていたようです。
この娘さんは少し気弱で体も弱いような方であったようです。私が思いますのに、民宿の仕事を、しっかり者のおかみさんのもとで手伝うことが、娘さんの御家族には不安だったのではないでしょうか。娘さんがお嫁に来られても、長男さんは別に仕事をされていましたので、民宿の手伝いはしなくても良かったのです。
このお話がこわれてから、長男さんが、家族に対して、夜叉・虎・狼となったの です。
温厚で物腰の柔らかいおばあちゃんにも、ことあるごとに、「早く死 ね。」と言い、父親にも当たり、母親にも疫病神のように当たってきたそうです。
長男さんが40歳を過ぎてからは、一段と乱暴になり、おかみさんが言われますのに、「教生さん、息子がおばあちゃんに対して言う言葉を聞いていると、おばあちゃんに申し訳なくてたまりません。80近くになって、 孫にこんなにひどい仕打ちを受けなければならないのかと、涙しています。 教生さん、今日は、今までとは違い、どんなに怒られても、叱られてもかまいませんので、仏様に、息子に嫁さんが来てもらえるよう、どのようにしたらよいのか、お伺いしてもらいたい。」と言われました。
この日まで何回か、台所(土間)で仕事をしながら軽い気持ちで、食堂にいる私に尋ねておりました。今日は不思議にも畳の部屋に上がってきて、きちんと正座して頼んでこられたのです。
いやいや驚きました。しっかり者のおかみさんです が、よくよく、つらかったのでしょう。私もおかみさんの一心に、「心して御本尊様にお伺いしてみます。けど、おかみさんも御存じのように、私の御本尊様は、ときにはとても怒って、つかみ出されるのではと思われるようなことを、おっしゃいます。覚悟はいいですか。」と念をおしますと、「はい、 覚悟できています。長年お泊まりいただいて、お話を聞かせていただいております。」と言われますので、「それでは。」と御本尊様にお伺いしました。
御本尊様のお言葉(お告げ)は何もきついものでなく、前回台所で軽い気持ちでお伺いしましたときと、同じでした。 『十二番焼山寺へ、山の下から、徒歩で参拝するなら二十一回、車で参拝するなら百回、お参りに行け。』とのことでした。
十二番さんはこの民宿からは、車で三十分弱のところです。 以前台所で、御本尊様のお言葉をお伝えしましたとき、おかみさんは、「どうして焼山寺さんいかんと駄目なのかね~え、家の近くの檀家(だんか)寺には近年少しまとまったお供えをしているのに。」と不審げで、深く考えもせず実行しなかったのです。
私は、「もう少しじっくり、御本尊様のお言葉を考えてみなさい。」と、おかみさんに伝えました。しばしおかみさんは思案して、「そうや、うちの家はおじいさんの代から、 こんにちのところに出てきたそうだ。昔は焼山寺のすぐ下の部落に住んでいたそうな、このことが何かあるのやろーか。」と言われましたので、
「おかみさん、よーく考えてみなさい。今の世はいろいろと文明も進んで寿命も延び出したが、昔は十分な医療もなく、いろんな災難もあったろう、そのたびにおじいさんや先祖さんは、焼山寺さんの御本尊様お大師様におすがりに行ったと思うよ。こんにち、良くも悪くも代々子孫が続いて暮らせているのは、御先祖さんが、自分たちや子孫かわいさに、お寺にお参りに行っているはずで、御本尊様からおかげをいただけているので、こんにちこの家も絶えることなく暮らせておられるのだ。どうもおばあちゃんを見ていたら、お寺まいりに余り行っていないようだね。おじいさん・おかみさん・息子さんの三代、あんまり感謝の気持ちを持ってお参りに行っていないのだろう。」と伝えますと、
おかみさんは「そうです、その通りや。昔は十二番さんが檀家寺でもあったのに、私がお寺との付き合いが遠く、山寺ですので車に乗れないと歩いて山道を登らなければいけないので、近くのお寺に変えました。誠にすまんことやった。今度は必ずお参りに行きます。」と言われますので、「頑張ってください。」と励まし、旅の疲れも出たので休みました。
翌朝出発するときに、おかみさんに重ねて、「信じて実行しなさいよ。今度寄せてもらえる日を楽しみにしているから。」と伝え旅立ちました。
翌年(八か月後)、再びお四国巡拝の同行さんと御一緒に、この民宿へ泊めていただくことになり、夕方車で到着しました。
おかみさんが元気よく出てこられて、「〇〇さん、おかげがありました。息子にお嫁さんが来てくれました。あり がとうございます、あとでお礼に伺いますので、まずは皆さんとお部屋の方へ。」と言われました。
夕食時おかみさんが給仕しながら、皆さんにも聞こえるように、息子さんが結婚できた話をしてくれました。「昨年、教生さんから教えてもらい、焼山寺様にお参りに行きました。先祖様が昔お世話になっているので、お寺さんに三千円お願いし先祖供養をお頼みし、息子の結婚のこともお願いしました。焼山寺さんへは長い年月、余りお参りには行く気にはならなかったのに、一度お参りさせていただくと、なぜか何度もお参りに行けるようになりました。
2~3か月ほどして、「息子さんにどうじゃろう。」と、何と26歳の娘さんを世話がってくれる人が現れました。息子とも話をしまして、「多分無理じゃろうが、相手の女性が会ってもよいと言ってくれているから、会うだけ会ってみたら。」ということで、お見合いをしました。
息子が帰ってきて言うには、「若くて良い方だが、40の自分には無理や、きっと断られる。」と諦めていましたら、仲人さんから、「相手の娘さんがもう一回会いたい、と言ってきているが、どうしますか?」と、 お話があったのです。
息子に伝えますと、「きっとことわりの話じゃろうき、 行かない。」と言います。仲人さんに伝えましたら、「嫌で断るのであれば、 見合いのすぐ後に言ってきているはずで、相手の口ぶりでは、そんなふうには感じられなかったよ。」と言われました。
息子に、「駄目でもいいやないか、若い女性とデートできると思って行ってみなさい。」と勧めまして、息子も乗り気ではないようでしたが、娘さんと2回目のデートに行きました。 私も家族も何とかいい方向に進んでくれたらと、祈っておりました。
夜遅く息子がニコニコしながら帰ってきましたので、「どうだった?」と尋ねますと、「”結婚を前提として付き合ってください。”と言われた。いやーびっくりしたよー。ほいで、「私で良かったら付き合いしたい。」と話して、次にいつ会うか決めて帰ってきた。」とうれしそうに話すのです。
家族一同ほっとするやらうれしいやら。このあとから息子の家族に対する態度も優しくなってきました。有り難いことにお話がどんどん進み、あっという間に結婚に至りました。
あれだけ荒れて、夜叉・虎・狼だった息子が、結婚後は、猫になってしまいました。
おばあちゃんにも悪態をついていたのが、「元気で長生きしいよ。」と優しい言葉をかけるようになり、家も明るくなりました。本当にうれしく思いました。お嫁にきてくれた娘さんも、本当に心根のいい 娘さんで、有り難い、もったいない、と感謝しております。教生さん、ありがとうございました。」と心よりお礼をしてくださいました。
その後、おかみさんは焼山寺さんへ時々お参りさせいただくようになり、十年近く子供ができなかった、お嫁に行っておりました妹さんも子供を授かり、長男さん夫婦にも子供ができ、どんどん幸せの方へと、家運回復し始めたのです。
私が考えますのに、十年近く子供を授からなかった娘さんも、里であるこの家の因縁が原因ではなかったのでしょうか。何事にも原因があるのです。この御家庭なども、信心深く、世間のことに思慮深い心で暮らしをしておれば、 私に教えてもらわなくとも、順調に暮らせていたのでしょうに。 世の親の方々、何事も子供のせいにせず、幾つになっても自らをかえりみて、 反省し努力してください。
この話にはオチがあります。しばらくしての巡拝で泊めていただきました。
「おかみさん、幸せかねえ?」と尋ねますと、「嫁さんの親には懐(なつ)く孫が私には、”来るな。”と言うのです。悲しくて、どうしてだろうか、と悩んでいます。」と言われ、しょんぼりされていました。
私が思うには、 私の御本尊様に余りにも薄謝でした。お金の話で申し訳ありませんが、お礼は三千円でした。まあ私は若造ですし言葉だけの導きでしたので、このようにお礼を考えられたのでしょうか。 それからしばらく、この民宿には寄らないようにしておりました。
数年後、老齢の女性と二人での、お四国巡拝でのことです。御本尊様から『おかみさんの民宿に電話してやれ。寄ってくださいと喜ぶぞ。 』とお知らせがありました。
私は御本尊様のお知らせに、半信半疑でしたが、電話しました。おかみさんは「教生さん、よう電話してくれた。是非とも今夜泊まってください。」と言われましたので、「二人です。」と伝えますと、「どうぞ、どうぞ、お接待させていただきますので、寄ってくださいよおー。」と、その言葉に「何があったのだろう?」と楽しみにして、その夜はおかみさんの民宿に泊めていただきました。
「お風呂に入ってえ~。食事中にお話に行きます。ビールもお酒もたくさん用意してあります。」とのことで、内心何があったのか楽しみでした。
夕食が始まると、おかみさんがこられて、「今日は他にお泊まりの人はいないので、ゆっくりしてください。」と言われ、お給仕してくれながら、「〇〇さんに、息子のことでは誠に感謝が薄かった。申し訳ありませんでした。半年ほど前に、一人で巡拝されていた女性の遍路さんが、応対に出た私に、「今夜、私を接待しなさい。」と、 しきりに言われます。
長年民宿をしておりまして、初めてのことでしたが、 なぜか泊まってもらおうと思えまして、お接待させていただきました。その夜、 この女性のお遍路さんに、私が「いろいろな事柄について、感謝の気持ちが薄い。」と、こんこんと指摘を受けました。
この日から、こんにちまで暮らしてきた日々のいろいろな事柄を、思い出すことができるようになりました。 教生さんから、息子のことでお導きいただいたお礼が余りにも少なかった、と反省しました。本当に教生さんよりは、言葉だけやったので、軽く思っていたのが申し訳ないことだったと、すまない、すまない、と思う日々でした。
ようこそおいでくださいました。今夜の宿泊は、お礼には足りないでしょうが、お接待させてください。どうぞたくさん飲んで召し上がってください。」と同行の女性に、私のこと、息子さんのいきさつを話され、歓待してくださいました。気持ちよくお接待いただきました。
それから半年後の巡拝中、お昼ごろ、この民宿の前を通りました。先日のお礼と、その後何かあったのかと、立ち寄りましたが、民宿には誰もいないようで、お隣さんに尋ねましたら、「町の方で暮らしている息子さんが迎えに来てくれて、孫さんとも仲良く暮らしていますよー。」と話してくださいました。時々民宿を掃除に来ているとのことでした。
今は民宿も取り壊されて更地になっています。
合掌
母親のA子さんが私の知人とともに、南無大日大聖光不動明様の御開帳の所に訪ねて来られました。
母親のA子さんが私の知人とともに、南無大日大聖光不動明様の御開帳の所に訪ねて来られました。
Aさんは、「私には子供が三人おります。上二人は女の子で元気ですが、下の端の長男(B君)が二歳の終わり頃から小学校二年生の今まで、いつどこでも大便をトイレに行ってせずに、パンツ・ズボンの中にするのです。
大便のこと以外では私の目から見ても変わっている様子はないのですが、幾ら言っても聞きません。長男と一緒に買い物にも行けません。 このような状態なので皆さんと普通に勉強ができず、養護学校に行っており ます。随分いろいろとお伺いや御祈祷所へ行きましてお願いもしてきましたが良くなりません。」と話されました。
私は御本尊様にお伺いしてみましたところ『(A子さんに)尋ねてみよ。(B君が)大便をパンツの中にし始めた頃(A子さんは)精神的に安定しておったか、それともイライラしておって幼いB君がつい便所に大便をしに行くのが間に合わず、パンツの中に漏らしたとき、自分の別のことでのうっぷんをB君に向け、叱りはしなかったか?母親に申せ。』
とのお答えがありました。A子さんに伝えますと、少し恥ずかしそうに、「息子が生まれる頃から主人が浮気をしだしました。夜も帰らない日もありましていつもイライラしておりましたので、忘れておりましたが息子につらく当たっていたと思います。」と言われました。
御本尊様にA子さんの話を申し上げますと、『この母親は自分の至らぬところを反省もせず、主人ばかり悪いと思い込み男性に対して腹を立て、知らず知らずに幼いながらも男である息子につらく当たったのだろう。上二人の女の子にもイライラをぶつけただろうが、女の子だしB君よりもっと成長していたので良かったのだろう。おまえの息子B君は本当は養護学校には行かなくても良い頭のいい子だ。だが幼いとき、ちょっとした粗相を母親にとてもつらい目に会わされて、幼い子供ながらに母親を憎み母親への当てつけに、こんにちまで自分もつらいのに大便をパンツの中にしてきたのだ。
今日帰ってよりのち、息子がパンツの中に大便をするたびに、叱るのではなく昔にさかのぼって、「おかあちゃんが悪かった。勘弁してちょうだい。勘弁してちょうだい。 あんたに長い間本当につらい苦しい悲しい思いをさせてきたのも、おかあちゃんのせいだ。許してちょうだい。」 と息子に謝って泣いてみよ。ひとつきほどかかるが頭のよい子だから止める。 』とお言葉がありまして、A子さんに伝えました。
A子さんは涙をボロボロ流しながら、「そんなことが原因であったとはちっとも知りませんでした。他に原因があると祈祷所ばかり廻っていました。真(まこと)に私が悪く息子に長い間つらい目に遭わせてしまいました。帰りましたら早速実行してみます。」 と言われ帰られました。
後日、南無大日光不動明王様の御開帳日に再びA子さんが知人とともに来られ、ニコニコ顔で、「先日はいろいろ教えていただき、ありがとうございました。お言葉どおり実行させていただきましたら半月で息子がちゃんとトイレに行って大便をするようになりました。今までこちらの仏様に御縁を賜るまでは、どこの祈祷所でも別の理由や、御祈祷すれば良くなると言われました。 世の中には御祈祷だけでは駄目なことがあるのですねえ。」と不思議そうに言われお礼を言われた後、重ねて、
「自分も具合が悪いところがあるのでどのようにしたら良くなれるのか、元気で暮らせるようになれるのでしょうか?」 と尋ねてきましたが、御本尊様からは色よいお答えはなく、A子さんは次回御開帳日からは来られませんでした。
このA子さんもまた一般の人と同じく、仏様から種を頂いたのに、自分の努力だけでそれを育ててよい結果を得たと思い込み、感謝のお礼奉納金額はゼロでした。
あちこち御祈祷師廻りをしてお布施お供えお礼がいることは知っているはずですのに、どうしてでしょうか。このA子さんを連れてこられた知人も、私が何も言わなければ、有り難いおかげを頂いてもお礼をお供えされない(できない)方でした。「類は友を呼ぶ」とのことわざ通りのことがありました。
お礼を求めなかった私が悪いのでしょうか。私が強くお礼を求めていたら次の願い事も叶(かな)えていただけたかもしれません。皆様どうでしょう。 難しいところなのです。
数年後、私の家の近所にある日赤病院の玄関で、親子と思われる学生服を着た男の子(中学生)と父親が、何事かで揉(も)めているところに行き合いました。
父親が言ってることに反発して息子が、「そんなこと言うならズボンにウンコしてやるう。」と駄々(だだ)をこねています。私はひょっとしてこの男の子はB君、父親はA子さんの御主人ではないかと思いました。
パンツの中に大便はしなくなっても長年の情緒障害が十分に治っていないなあ。 あの母親A子さんが人並みにお礼ができていたなら、B君も健康に救っていただけたかもしれない、と残念に思いました。
合掌
この奥さん曰く、嫁入りしてもう三十年以上なりますが姑との間が一日とも楽しい日が無かったそうです。
この奥さん曰く、嫁入りしてもう三十年以上なりますが姑との間が一日とも楽しい日が無かったそうです。
結婚した当日よりそこの家族と食卓に出るおかずで差別をされ、自分の子供(二人)には家業で作るミカンさえも食べさせてくれなかった。姑さんに何を差し上げても今日までただの一度も感謝されたこともなく、また姑さんが高齢で病気になった時など食事の世話や下(しも)の世話など色々と尽くしたのに、元気になると他家へ嫁に行った娘や外孫には、小遣を貯めたお金で好きなものを買い与え、それでいて自分の子供や孫には何一つ買い与えてくれた事が無かったそうです。
長い間一生懸命頑張って来ましたがもう辛抱しきれないので、主人に対して離婚をほのめかし、自分をとるのかそれとも姑さんの方をとるのかを尋ねたのです。ご主人は一ヵ月ほど考えさせてくれという事だそうで、私とお会いしたのはその十日目だとの事でした。
この奥さんはなかなかの頑張り屋でこの家の財産を随分殖やした方です。姑さんも八十近くなのでもう少し幸抱なさったらと言ってみましたがとても元気な姑なのでダメだとのことでした。それで私はこの問題をお大師様にお伺いすることにしました。
お大師様がおっしゃって下さるのには、『この女の現世での努力は認めるが心の世界の努力が全く出来ていない。この女の舅、夫、子供、孫達の事についての願いはよく聴いているが、 この家の嫁に来てから今日までただの一度もワシの前で合掌姿で姑の幸福、健康、長寿の願いを聴いた事が無い。この女にそう申してみよ。』とおっしゃいますのでそう伝えた所、えらく驚いた顔をしながら全くお大師様のおっしゃる通りですという事でした。
お大師様の御教示によると、この奥さんは現世では一生懸命働いたゆえ生活は何不自由ないけれど、姑さんとの心が通じないのは心の世界が冷え切っているからなのです。 この様なままでたとえ離婚し、一人で暮らす事になってもやはり本当の心の幸福を得ることは出来ないものです。
私は引き続きお大師様のお答えを奥さんにお伝えしました。 ご主人の返答があるまでのあと二十日間、毎日お姑さんの幸福健康長寿を願って来なさい。そうすれば結果はどうであれ現世と心の世界の両方共にとても幸福に生きていけるようになるでしょう。
三ヵ月後、私は修業の途中でまたこの家に寄らして頂いた所、奥さんはご主人と別れることもなく、今は姑さんと仲良くやっているように見えました。
奥さん曰く、残りの二十日間嫌々な気持ちを押さえつつ姑さんの幸福をお大師様にお祈りしたそうです。
そしたら不思議や不思議、十日位たった頃、奥さんが風邪気味になり咳をしたところ、今までなら“極道者が仕事をさぼりたいとセキをしておるわい”と言うような返事をしていた姑さんが、手のひらを返すような優しい言葉で“あんたがこの家で一番大切な体やから、早く大事をとって休みなさい”と声をかけてくれたのです。
この一言で今までの恨み・辛みが一瞬のうちに消えてしまい、奥さんの目頭は熱くにじんで、思わずお大師様の偉大さがあらためて身にしみたそうです。
それ以来、今まで家族と食事をした事が無かったのに(いつも自分の部屋へお膳を運ばせていた)皆と一緒に食事を取りたいと言いだし、孫や曾孫と楽しく食べるようになりました。また家業のことで色々と口出しをしていましたがそれも止め、奥さんが物を差し上げれば大変喜んで受け取るようになったのです。
姑さんはこうして奥さんを嫁さん嫁さんと慕うようになりましたが、約一年半後八十数才にて安らかに他界されました。
人はみな心の世界で生きています。合掌しますと手のひらに温もりを感じます。胸の前に両手を合わせ、そっと自分の心を包みこみ、そして暖かくなった心で幸福を念ずる時、初めて相手からも暖かい心が返ってくるのです。
人との和を求める時、相手の人への真心を抱きつつ、己自信の心を深く見直し自分自信を変えていくことが本当の信心者ではないでしょうか・・・・。
合掌
ある日A子さんが私の所に見えられ、里の母親のことについて相談を受けました。
ある日A子さんが私の所に見えられ、里の母親のことについて相談を受けました。
聞くところによれば母は現在心臓が悪く入院中でなんとかして早く元気になって長生きしてもらいたいとの事、願いがかなえるよう自分(A子さん)も何か出来る事があればどんなことでも致しますと救いを求めてこられました。
早速佛様にお伺い致しましたら、毎日仕事の合間に当寺に来て母の幸福と一日も早い退院を御本尊様にお願いし、お経を唱える様にとのお知らせでした。
A子さんにお伝えしましたら、「はいわかりました、頑張ってみます」と申され、毎日とはいきませんでしたが、仕事の暇を見つけてはお参りに来られました。
A子さんの一心が通じたのか、母親は短期間で回復し元気に退院なされました。
A子さんがお礼に参られた時、御本尊様よりお言葉があり『今の暮らしぶりを続けていくと近い将来子供が悲しい思いをする事が夫婦間に起きようぞ。親孝行の心ゆえ将来の不幸を回避する方法を教えてやろうぞ。』とおっしゃられました。
御本尊様から色々と具体的な方法をお伝えしましたが、どうもA子さんは心から信ずる様子に見えませんでした。残念ながら御本尊様のお言葉を実践されなかったのです。
二年後、お子さんが一人おられましたが、その子を引き取ってA子さんは離婚されました。
私が至らぬばかりに信じて頂けず非常に残念ですが、世の中には離婚しても将来幸せと巡り合った人もたくさんおります。
私はそっとA子さんとお子さまの幸福をお祈りしました。
合掌
大地山 教生寺