教導体験談義
教生寺のはじまりは、師・教生の深い信仰体験なくして語れません。
その歩みの一端を、ぜひご覧下さいませ。
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※お話は随時追加いたします。
教生寺のはじまりは、師・教生の深い信仰体験なくして語れません。
その歩みの一端を、ぜひご覧下さいませ。
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昭和59年四国順拝の折りの話です。
昭和59年四国順拝の折りの話です。
納経帳と絹張りの掛け軸を持っての拝行でしたが、 あるお寺の納経場へ参り、その日はご住職さんが(60~70才くらいの年齢)納経して下さりました。
雨降りの日でしたので絹張りの掛け軸は丁寧たっぷり墨を付けて書いて下さったので乾きにくく、その寺はドライヤーがないのでうちわにて乾かしておりました。
6~7分たった頃ご住職が「どうかね、良く焼き上がったかね?」と冗談混じりでしたで しょうが、尊い御本尊様のぼん字で書かれたお名前を“うなぎ”にたとえられたのです。
実は前回の順拝の折りも同じ納経場でこのご住職さんが納経して下さり、その時私が順番に並んで納経を待っておりました際、
私の番がもうすぐになったので納経帳にご朱印しやすいよう整理しようと左横の板の間に納経帳を置いたところ、突然「こりゃ!そこの人、納経を待つには並んで待つように。列を乱ださず真面目な態度で待て!」と、注意されたのです。 その時は、私も双方の考え方の違いで、この寺にはこの寺のやり方があるのだと納得しておりました。
このようにきっちりしたご住職なのに今回の発言は何事なのでしょう?
365日の間には晴れの日も雨の日もあります。心あるお寺にはたいがいドライヤーを備え付けて下さっていて納経帳を乾かすのに大いに助かります。このお寺以外にもドライヤーが設置されていないお寺があります。そのお寺(お四国でも他の寺よりも先駆けてドライヤーを置いていましたが、今は置いていない。)のご住職もたっぷりと墨を付けて書いて下さるが、雨降りの日や、お四国さんのピーク時に重なった際などは大変な苦労を必要とします。
このご住職の申されるには、“ドライヤーで乾かすと絹が変色しやすく長持ちもしない、時には不注意で掛け軸を焦がすやら穴を空けてしまうことがある。その防止のためにドライヤーを設置していない。そして、お四国遍路はもっとゆったりした心で順拝しなくてはいかん、自動車で来てハイチョンではお参りの意味が無い。”との持論をよく話されております。
ですが、私が考えますには、お大師様も、信心は世に従ってしていくようにと申されております。アメリカの寺ではイスと畳があります。日本で畳のうえにイスに座ってお参りすることはなにか仏様に対して申し訳ない気持ちがしますが、アメリカ人のようにイスに座って育ってこられた人にきちんと正座をしなければお参り出来ないと言っておりますとほとんど参拝者は出来ません。
ドライヤーのことも、時世に従えのお大師様のお言葉なら、お遍路さんへの真心があるならばドライヤーのそばにでも注意書きして使用してもらう様にしたらどうかと、いつも思います。
お四国のお寺も昔のように順拝者が少な く収入の少ない頃は大半のお寺さんは、お参りに行ってありがたかったなぁーと思えたものでした。昨今のお寺さんの態度ではなかなかありがたいと思えないのです。御本尊様の 御威光は変わったとは思えませんが、やはり古今の聖人のおっしゃられた言葉に、”法は人によって栄え人によって滅びる”と申されておりますが本当だなぁーと感じます。私も法に たずさわっておりますので他人事ではありません。
さて話が逸れてしまいましたが、何やら十分に意味が分からないぼん字を書いて分かりにくいのがありがたいものだと思っている住職に対して誠に腹が立ち即座に文句を言おうかと思いましたが、まず御本尊様に申してからと本堂へ進みました。
入寺してからの一部始終を御本尊様に申し上げ、そしてこの寺の住職は歳ばかりくっているが坊主じゃー、腹が立ってたまりませんので文句を言いにいっても良いですかとお尋ねしましたら、誠に有り難くも御本尊様より『何をそんなに腹立てているのじゃ。相手は坊主ではないか、大人げないぞ。』とのお言葉がありました。
私はこの意味が十分に理解出来ずに重ねて御本尊様にそれはどういう意味ですかとお尋ねすると、『辞書を見よ、坊主とは坊を守る主とも言えるが、一方では幼き男の子とも意味する。世間であそこの坊主とか駄目な坊主とか、欲張りな坊主とか人々は言うことがあるが、それは僧侶とかお坊さんと申すにはちょっと情けない修業不足の者に対して言う言葉じゃ。歳ばかりとっておっても心の修業が出来ていない者のことぞ。そのような者に文句を言って論争しても無駄ではないか。』とのお言葉です。
やっぱり御本尊様じゃ、さすがに尊いお方で我々ごときの及ぶところではないと改めて思いましたが、さらに御本尊様に対してこの有りがたいお四国のお寺さんになぜこのような住職がいるのですかと尋ねますと、
『それはの、四国八十八ヶ所は仏様への修業だけではなく、その土地の人々の暮らしぶりや態度や言葉、ものの考え方、また各寺の住職やその家族、従業員などの姿(身・口・心)応対を見て自らを振り返え見ることも修業なのじゃ。
だから色々な面において十分であったり不十分であったり、立派な方だと思えたり情けないものじゃと思えたりさまざまなのじゃ。この寺の住職は、わしが天界でクジで引き当てたのじゃ。ふたつ先の寺へ行ってみよ、そこには真心のある良い住職がおる。』とのお言葉でした。
誠にありがたいお導きを賜り心より御礼申し上げる気持ちで御法楽をささげて退寺致しました。
さて、ふたつ先のお寺の境内へ到着し早速納経場へ行きますとご住職さんがおられましたのでお納経をお願いしました。そして脇のドライヤーはと見ますと新品の大きなとっても早く乾かせそうなものです。このドライヤーを使いながらこの住職さんに、「今日のような雨降りの日はこの立派なドライヤーを使わして頂けると誠にありがたいです。」と申しますと
ご住職さん曰く「のうお遍路さん、このドライヤーもお接待の心が無かったら置いておけんのぞ・・・・なぜなら機械にも良し悪しが有ってちょっと使ってすぐ故障するのもありまた新しいのを買うとか、心ないお遍路さんやタクシー・バス等の運転手さんたちが乱暴に扱ったりでなかなか長持ちしないのが多い。たまには調子よく長持ちするのもあるけどネ。」と、話して下さいました。うちわや自然乾燥に比べたら早いのなんの本当にありがたかったです。
お寺での修法の間、前々寺の御本尊様の申された事を思い出し、本当に仏様は何もかもお見通しだなぁーと感激いたしました。
ある寺のご住職が申されるには、「絹の掛け軸は総て自然乾燥の方が色彩も良く長持ちするが、今の車でのお遍路さんは時間が大事で又深い信心というよりも納経してさっと行ってしまうのが多いからドライヤーの方を好むねぇー。ま、早く変色したり駄目になったり穴を空けたりしたら又お参りに来るから当方はいい、考え様によってはお遍路さんも再度お参りさせて頂けるからおかげをもらえるかもなぁー」とのお話でした。
次のお修業の折りは、うちわのお寺さんの所もドライヤーがありました。御本尊様のお心が判られたのでしょう・・・・
合掌
昭和五十九年頃、車にて一人で四国順拝修行の折り、松山市内にあるお遍路さんの民宿に泊めて頂いた時の話です。
昭和五十九年頃、車にて一人で四国順拝修行の折り、松山市内にあるお遍路さんの民宿に泊めて頂いた時の話です。
その夜この民宿の奥さんよりのお話に、知人のWさんよりどなたかご主人を救って下さる人はいないものかと依頼をされていたそうです。
この民宿にはずいぶん立派な先達さんや修行者がお泊りになられるのに、このお話を聞いて救いの手を出されたお方は今までおられなかったようです。
Wさんのご主人のその時点での病状は、胃がん発見が遅れ他へかなり転移されていたのですが、少しでも延命出来る様にと手術されてほんの一時ではありますが、回復へ向かい自宅療養されておりました。
家に戻って数ヵ月たったころ再びガンが再発し、普通食が受けつけられない状態になり、おも湯とか小量のジュースを何とか口にしている状態でした。ガンの10が死亡ならすでに9くらいまで進んでいたのです。それゆえ、どなたもWさんのご主人の御祈念をするお方がいなかったのでしょう。
私も他の御祈禱師や修行者のように利口に手を出さなければ良かったのですが、光不動名王様にお伺いを立ててみましたら、『今夜この主人の為にガン平癒・健康回復のお加持を修法するのじゃ、そして明日の結果しだいで後日この主人の家(W宅)に寄ることもある。今申したことをここの女将を通じてW宅に電話するよう伝えるのじゃ。』とのお言葉でした。さっそく御本尊様の申したことを女将さんに伝え、私はWさんのご主人の修法をさせて頂いて休みました。
翌朝Wさんより民宿の女将さんに電話があり、「不思議なことが起こりました。主人がおかゆを食べてみたいと言いだし急いで作ると、沢山ではないですが戻しもせずに食べれ、幾分元気な様子です。」との事。
そしてWさん、ぜひにも私に順拝行の途中立ち寄って頂きたいとの事になりました。Wさんの所へはここから三日目に近くを順拝する予定になっておりました。そして三日目の昼頃Wさん宅へ立ち寄らせて頂きました。途中の国道までWさんが車で迎えに来て下さっており、私を先導しながらWさん宅へ向かいました。
早速ご主人にお会いして色々とお話を伺いました。ご主人はお四国の先達さんをなさっておられたので、発病前の先達としての信心の状態、活躍ぶり等をお聞きし、また発病後の信心の状態や養生などをお尋ねしました。
そして光不動名王様にお伺いを立ててみますと、お不動様よりご主人に、『当家の仏壇の本尊以外の仏像・お札・お守り・祈禱札等を総て処分し、ワシよりのお守り祈念札のみ身につけて、心一帰信にわれにすがってまいれ。そしたら助けてやるぞ。』とのお言葉でした。
ご主人とWさんにお伝えしますと、Wさんは随分納 得されておりましたがご主人は、“何を言うか、そんなことは出来ん、帰れ!”と言わんばかりです。そしてご主人申すには「ここ2~3日ぼつぼつと元気になってきたし食も進みだした。家内も毎日一心にお参りに行ってくれてるし、たくさんの信心同行さんが各地でいろんな所の仏様や神様にお願いしてくれてるお陰だ。皆さんより送って頂いた病気平癒のお札・お護り札などを、袋にいっぱいつめて枕の下へ置かして頂いて寝ている。この皆さんのありがたい心を処分できるか。おまえは大分おかしいことを言うなぁー」と言われました。
Wさん、私が松山で光不動名王様に御修法させて頂いて、病状が少し回復に向かいだしたのを、ご主人に言ってなかったのです。残念なことです。
このご主人も自分はガンだとは知らされておらず、(うすうすは、潰瘍ではなくひょっとしたらガンではないだろうかと疑っているが、いやいやガンじゃなく潰瘍だ、との方へ思いを必死に向けているみたいでした。)潰瘍の手術後の回復がなかなか遅いぐらいに思っていたようでした。
そして私に、「おれは発病前には多くの同行者さんと縁ありてお四国順拝にお連れし、六十番の横峯寺には本堂新築のお供えに皆さんに頼んで全員で数百万円も奉納した功徳を積んでいるのだぞー」と鼻高でした。
けれども光不動名王様はご主人に、『おまえの功徳は無功徳に等しい。なぜな ら、善行を金をなんぼお供えしたなど偉そうに人に言うのは虚栄心をはるだけで、 六十番の御本尊には何にもお供え出来ていない。受け取って貰ってないぞ。坊主が受け取って使ったまでよ。残念なことじゃのう。誠の功徳になっていたならまだ五十の歳にて回復のおぼつかない様な病にはかからんはずじゃー。だけど仏縁ゆえお守りは置いてゆく、おまえが信じたければ身につけよ。その代わり他のお護り札などは総て処分するのじゃ。』と重ねてお言葉がありました。その旨をご主人にお伝えし、Wさん宅を出ました。
Wさん陰にて「どうもすみません。どうしても主人にガンだと申すことが出来ませんので主人もあのような態度に出たのだと思います。光不動名王様に何卒お許し下さいませ、そしてどうぞ前日来の奇跡をずっーと頂いて主人を元気にして下さいませ。」と、おすがりされました。
光不動名王様へお伝え致しますと、『まあ写経書いて一巻につき百円供えて教生寺へ送ってみよ。』とのお言葉でした。Wさんお写経を送らせて頂きますと申され、内緒でと五千円のお布施を差し出されました。
後日Wさんより二十巻ほど御写経が届き、私も一心に病気平癒をお祈りしましたが、お医者さんの一カ月だろうの診断が二ヵ月半ほどもったのち他界されました。
このご主人さん発病してだいぶたったのに、沢山のお守りお札に希望を託しておられたのでしょうが全然良くならず、益々悪い方へ向かっておったのに、光不動名王様のお言葉を信じる事が出来なかったのです。非常に情けないことです。
本人の心が、病にかかる心より福運へ転じていける心にならなかったら、仏様からは救って頂けないのです。ただしゃにむに信仰していてもダメです。お金さえ沢山奉納したならば幸せはひとりでに向こうよりやって来るようにでも思っておられたのです。残念です。
このご主人のような方を陰よりお救いしても、元気になったらどれ程いばりちらして生きていくのかと想像するとぞっとします。仏様はなかなか厳しいですが誠にありがたいお方です。
後日お四国のお寺さんで、このご主人さんが元気な頃同行さんを先達されてお四国順拝された時に作られた、赤字に染め抜きの名前入りののぼりを見ました。大きな字で いちばん先頭にご自分の名を書いておりました。お四国のお寺でよく見かけます順拝記念ののぼりに名を連ねている先達さん方は、信心の仕方があまり仏様お大師様のお心に叶うような拝み方が出来ておりません。残念なことです。
当寺の御本尊様は一心にすがって来られる人のみお救い下さいます。あっちゃこっちのお札やお守りなどをさげ回っている方には大きな幸福は下さりません。そういう方にはよそへ行ってもらう様にと申されます。
よその御行者さんのほとんどは(新興宗教も含め)ガンなどの御祈念は最初から一回につき数万~数十万円必要で、良くならなくともそのお金を返すことはありません。当寺は元気になって退院されるまでは百円または千円単位の額でしか受け取りません。
人の弱みにつけこんで金を取るところが、ちまたには沢山あります。そんな所へ引っ掛かるのもその人の運命なのでしょう・・・・。
合掌
大地山 教生寺