教導体験談義
教生寺のはじまりは、師・教生の深い信仰体験なくして語れません。
その歩みの一端を、ぜひご覧下さいませ。
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※お話は随時追加いたします。
教生寺のはじまりは、師・教生の深い信仰体験なくして語れません。
その歩みの一端を、ぜひご覧下さいませ。
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※お話は随時追加いたします。
私がまだ髪を伸ばし白衣姿にて修業しておりました時の話です。(翌年僧侶になる)
私がまだ髪を伸ばし白衣姿にて修業しておりました時の話です。(翌年僧侶になる)
7月の終わり頃、四国88ヶ所霊場第27番さんのお大師堂にて私は経本を開き、無言で拝んでおりました。そこへ三人組の山伏姿に近いような修業者さん達が登って来て、ご本堂でお参りを始めました。
大きな声で気合いをかけ てお参りされるので、内心やかましいなと思っておりましたら、先達の50才位のお方が突然お参りをやめて大師堂の方へつかつかと寄って来られました。
あとの二人はご本堂で必死に拝んでおられます。〈何事かあったのかな?〉と思っておりますと、その先達さん私のすぐ側まで来られて、「若い方、しっかり腹から大声を出してお参りせんと悪霊や畜生霊、または良からぬものに取り憑かれるぞ!」と、注意して下さいました。
しかしどうも納得がいかずお大師様にお伺い致しました。お答えには、『その行者に申してみよ、それでは無言でおまいりしたらダメなのか?世の中には、声を出したくとも声を出せない境遇の人は皆お参りすると、悪魔憑きか?・・・・・ 大声を出さねば、おかげが頂けないのか尋ねてみよ。今も昔もオシ(声が出せない)の人や耳の聞こえない人が大声を出せずとも一心におまいりされて大変有り難いおかげを頂いて、ものが言えるようになったり、耳が聞こえるようになったり、有り難い話が沢山あるがどうじゃ?』との、お言葉がありました。
私はそのお言葉をそっくり行者さんにお伝えしたところ、先達さんは腕を組んでふう~む・・・・と、なにやら考え始めてて、“うん、判った、そうじゃそうじゃ”と、ひとりごとを言いながらご本堂の方へ戻って行かれました。
ご本堂でのお参りがその後随分静かになりました。この先達さんも私を通じてお大師様にありがたいお導きを賜れたのです。私も大変有り難い体験ならびに勉強をさせて頂きました。
ところで話は変わりますが、大勢の人々と大衆読経の際は人に負けないような声を出さねば周りの人々に大変迷惑になりますので、この場合は皆さんと同じ位の声でお唱えして下さいよ。
不幸にも入院せねばならなくなった折りなど、病室でお祈りされたい時は無言にて心の声にて拝んでください。
誠に尊いお経の声も時と場合には周りの人にイヤな思いをさすことがあります。
合掌
昭和50年頃、まだ出家前で髪をのばし白衣にての修業時代のお話です。
昭和50年頃、まだ出家前で髪をのばし白衣にての修業時代のお話です。
その頃私はとある喫茶店によく通っていました。この店は信仰者の溜り場のようになっていて、ママさんがお大師様をお慕いして一生懸命お四国さんや地元のお大師様ゆかりの御堂などへお参りなされておりました。
それが縁なのか、不思議と色々な宗教者が自然と集まっておりました。私もこのお店のお陰にて他の人に負けじと修業するようになりました。
ある日の夕方、店の手伝いの18歳の女の子が(F子さん)私に、「教生さん、私気が弱くて自分の思っている事を母親にどうしても充分に言うことができないでおり、親子関係がうまくいかずひとりでイライラばかりしています。何とか仏様に助けて頂けることは出来ませんでしょうか?」と尋ねられました。
ママさんからもぜひ私の御本尊様にお願いしてあげてと頼まれたので、お力になれるかどうか判りませんでしたが、快くお引き受けしました。
私の御本尊様でおられます光不動明王様に先程のお話を申し上げましたところ、有り難くも即座にお告げを頂くことが出来ました。
御本尊様のお言葉は『F子に伝えよ、今夜九時に自分の部屋よりワシの祭堂の方向に向かって正座し合掌して、わが名を一遍のみ唱えよ(南無大日大聖光不動明王様)。よいか、なんぼなんでも一遍ではもったいないとか心もとないとか考えて二度三度と唱えると救ってやらないぞ。心して(静寂なる心にて)一心にただ一遍のみ唱えるように。』とのお言葉でした。
ママさんや他にも数人の信仰者がおりました所で皆さんにも聞こえるようにF子さんに御本尊様よりのお言葉を伝えました。
F子さんもママさんもそして周りの人々も異口同音に“本当に一遍のみお唱えしてお願いを聞きとどけて貰えるかね・・・”とビックリしたような顔にて私を見ながら、「私ら長年信心してきて色々な事にも出会い聴いたりしてきたがなんぼ言っても一遍唱えただけでお願いを聞きとどけてくれるなどとは、ほんとに初めてじゃあ。」と、色々と今日までの信仰体験をおり混ぜて話し合っておられました。
けれども私としては御本尊様のお言葉ゆえ、F子さんに、「信じる信じないは君の勝手だが、せっかく頼んだのだからまず実行してみて、それから事の良し悪しにて批判したらどうかね?」と申すと、横からママさんが「そうじゃ、そうじゃ。教生さんの言う通りぞね。F子ちゃん、考えてみたらとっても有り難いぞね。 たったの一遍お唱えさせて頂いたらいいんやから・・・・」と、口添えされました。
F子さんは、「私は今までに深く信心信仰したことがないからよう判からんけど、疑う気持ちはありません。今夜帰って必ずお不動様の方角に向かって一遍のみお唱えさせて頂きます。」と言ってくれました。店内の一同も明朝が楽しみやと帰って行きました。
さて一夜明けて翌朝、私は喫茶店の開くのを待つように参りました。
昨夕いた信仰者も来ました。そしてF子さんに何か現われたかねと尋ねましたら、先にママさんから、「教生さん、あんたホントにすごいねぇー。F子ちゃんお不動様からおっしゃって頂いた通り昨夜実行したそうな・・・・。そしたら今朝なぜかしら不思議に勇気が湧いてきて、母親に今まで充分に話が出来なかったのに、しっかりと自分の意見を話し、母親も不思議に素直に話を聴いてくれて家庭がいい方向へとむかうようになりだしたと喜んでいるところよ。いやぁビックリしたわぁー。たった一遍お唱えしただけでこんなに有り難いお陰を頂けるとは、今の今まで信じられなかったわぁー。信心は本当に誠の心にならんといけないけど、なかなかなりにくいもねぇー。」と、喜んで下さいました。
F子さんからも、「教生さん、本当にありがとうございました。どうか光不動明王様にも心より感謝致しておりますのでお礼をお伝え下さいませ。」と申されると、
急に私は合掌して手がふるえ涙がどんどん出てきだし、口よりひとりでに『嬉しかったぞ、嬉しかったぞ。数百年来わが名をこの子ほど純心なるきれいな心持ちにて唱えてくれた者はいなかったぞ・・・・・。一点の疑い心なく、南無大日大聖光不動明王様とただ一遍唱えてくれた・・・・・。嬉しいぞ嬉しいぞ。』と言葉が出、顔中涙で濡れびたしになりました。
その時カウンター内のママさんが、「あー、いやいや・・・・、教生さんの頭の上に光不動明王様が現われておられる。あーもったいない。有難うございました、有難うございました。」、と合掌して拝んで下さいました。そして引き続き、「有難うございました、わかりましたので、どうぞお帰り下さいませ、有難うございました。」とおじぎして下さると、音もなくスーッとお姿が消えていかれたそうです。それと同時に私の涙もスーッと止まりました。
いやいや、本当に不思議なる有り難い体験をさせて頂きました。同席の信仰者の方々も皆ビックリされて“不思議じゃー、こんなこと初めてじゃー、ええ勉強させてもらえた”と喜んで下さいました。
仏様、神様にお陰やお救いを頂けるには、誠の心、真心、そして純心なる心にておすがりお唱えさせて頂ければ必ず有り難いご縁を賜ることが出来ます。
人それぞれに因縁、宿業、お願いの大小がありますので誰でも一遍にてお救い頂けるとは限りません。人によっては何千、何万、何十万、何百万遍とお唱えせねば心が通じて頂けない方もおいでますが、なるべくなら一遍にてお救い下されるような心持ちになりたいものです。私などはとうていダメな方です。しかし愚鈍でも一生懸命精進努力さえさせて頂いておれば、いつの日か一遍の御縁を賜れるかも知れません。
この日より数十年たち、幾多の方々との御縁がありましたが、いまだ一度も一遍で良いぞとのお言葉を頂けるお方に出会っておりません。幼い子、若い人はもろもろの雑念に染まっていないのでしょう・・・・・・。
私たちも誠の道を知って雑念を消し去る時、この一遍の有り難い御縁にきっと会えることと思います。
合掌
私と親交の深い大阪の和尚ご夫妻が、年配の御夫人Tさんを私の地元まで同行して来られました。
私と親交の深い大阪の和尚ご夫妻が、年配の御夫人Tさんを私の地元まで同行して来られました。
Tさんは後家さんで二人の子供がおりますが、長男夫婦は独立しており、現在次男さんと一緒に暮らしておられます。
この次男さん大変商売上手ですが、不思議なことに商売が繁盛しだすと何かの霊に憑かれて正しい計算が出来なくなって、浪費が増大するなどして過去に二回ほど事業に失敗されたそうです。
そういう苦い経験に懲りず三回目の商売をしようと店を探しているとの事ですが、過去二回の商売をするに於いて息子の保証人にさせられ、主人と一緒に苦労をして貯えた財産の三分の二くらいを失なわれたとの事です。
そして今回どうも息子がまた店を始める準備を陰でしている様子で、再び以前のような事態になりかけていたのです。今度失敗すると住んでいる家も失いかねず、何とか息子が商売をあきらめ勤め人になってもらえる様、色々な所へお頼みに行き努力してますが何の変化も見られず、どうにも心配でなりませんと私に話されました。
遠路遥々おいで下さったのだから心して御本尊様にお伺いさせて頂きましたところお答えには、『この女は仏様や神様にお頼みする時にお供えするお賽銭を”ほらくれてやるぞ”とばかりに投げ銭しておるので、願い事が聞き届けてもらえずおかげも頂けんのじゃ。今回の願いは金銭に関する事ゆえ、霊界と現世の両方から見られても”尊い御供えの仕方だな”と思われる様せにゃならぬ。家の近くのお寺又は神社どちらでも良い、百日賽銭奉納行をせよ。』というお言葉があり、その通りTさんにお伝えしました。
Tさんはしんみりと聞き感動された様子で、「誠にこのような御導きのお話を聞かせて頂くのは初めてのことです。仏様のおっしゃる通り、私の御供えの仕方は本当に雑で真心が入っておりませんでした。本当に仏様に申し訳ないことを致しました。世の中の大半の人々が投げ銭をしているので、ついこれでいいのだと思っておりました。」とおっしゃり、帰ったら近くの神社で百日賽銭奉納行させて頂きますと決意されました。
さらに御本尊様より『遠方じゃからといって手抜きをするなよ、しっかり見ておるからな。』とのお言葉があり、Tさんにお伝えしてみるとビックリされておりました。
一月から四月頃までにかけて実行され、風邪で二日ほど休まれたほかは、朝早くお参りされたそうです。
百日の行を終えられ、私はTさんよりお電話を頂きました。 お話によりますと、次男さんは未だ商売を諦めず、現在とある店を譲って頂く為の資金集めに奔走されているとの事です。そして長男の所へ保証人になってくれるよう頼みに来たと連絡が入り、心配でならないと嘆いておられました。
私はさっそく御本尊様にその旨をご報告しお伺い致しましたところ、『Tさんの所へ行き仏壇のお祀りの仕方とお経のお唱えの方法を教えに参れ。』とお知らせがありました。
さらに申されるには、『次男に会って、自分の商売だから門ぐらい自分の金で作って始めるような根性を持てと申してみよ。』とのお知らせがありました。
旅の準備もそこそこに私はTさんの家を訪ね御本尊様の申された通りTさんに教え、 次男さんにも御本尊様のお言葉をお伝えしました。
ニ~三ヵ月後、和尚さんのお寺祭りに参らせて頂いた折り、Tさんが居られましたので次男さんの事をお聞きしたところ、「知人がとても良い条件の仕事をお世話して下さり、今は商売を止め元気にその会社に勤めております。」とだけ言われ、あとは知らん振りでした。
Tさんは和尚さんへかなりのお礼と御供えをされたようですので、私は何も言わずにおりました。
それから数ヵ月後、ある用事で和尚さんの所へ参りました時、Tさんがおいでになり「次男は仕事が長続きせず転々と職場を変え、だんだん条件の悪い仕事になってきているのです」と困り果てた様相で私にすがって来られましたが、御本尊様よりは何もお言葉が有りませんでした。(本当は私の御本尊様にも、沢山でなくとも何かしらのお礼をすべきだったのです。) 本当に次男さんには気の毒な思いがしました。
次男さんは親のエゴの為、幸運に乗れないのです。これも過去の世の報いですかねー・・・。
こういう話はよく有ります。 親の貪欲、ケチが子をダメにする。
重ねて親の無知が子をダメにする、そして自らも苦しむのです。
合掌
依頼者である母親のCさん(五十六歳)がおいでになられて申されますには、
依頼者である母親のCさん(五十六歳)がおいでになられて申されますには、
「長女が数え年三十四歳になったのに縁が遠く、幾度となくお見合いを致しましたがまとまらず、今ではもう一人で生きていくとか結婚しなくともいいと申す始末です。娘は経理事務の資格を持っており生活には困りません。困った事ですが何か原因でも有りやしないかと思いこちらへ参りました。何卒仏様にお導きを賜れますようにお願い申し上げます。」との事でしたので早速仏様にお伺いさせて頂きますと、
お答えに『この娘は結婚しなくとも一人の方がいいと申しているが本心はとても結婚したがっている。 この娘に縁談がまとまらないのは親のせいだ。娘の心の中に強く異教がしみついておる。異教を信じたり勉強したりすることは何も悪いことではないが、今まで見合いした相手は皆仏教徒じゃ。この娘には普通の人以上に異教が自分でもわからないほど強く心の奥にしみついており、何か問題が持ち上がってきたら心の奥の異教の考えが出てきて相手の仏様や先祖さんを大切にしてくれん事が前もって分かっておるので、敬遠されてきたのだ。良い娘だがかわいそうじゃ。』、とのお言葉でした。
Cさんにお伝えしますと、「うちの娘は毎日家の仏壇へも手を合わせ、お茶やご飯などをお供えしております。」、と不信げに申されました。
仏様よりすぐお言葉があり、”帰れ!”と言わんばかりです。Cさんへ伝え、私からももう少し娘さんの幼い時から今日までをあなたが知っている事を思い出してみなさったらと申しますと、Cさんジーッと考えておられて、「あーっ! もしやこの事でしょうか。すっかり忘れておりました。娘が高校生のとき主人に地方への転勤の辞令がありました。都市の学校に入れておいてやりたく、ある異教の学校が寮舎を完備しているというので入学させました。勉強のレベルも高い学校でした。誠に申し訳ありません。私は娘が勉強ばかり教えてもらったと思っておりました。」とのお話に、
仏様よりお言葉があり、『よく考えてみよ、宗教学校ぞ。勉強のほかに自分たちの良いと思う教えを説くであろう。若くて純な心の時分じゃ、スーッと娘が心に受け入れても当たり前じゃろうが。娘がお嫁に行けるには夫婦して造った罪ゆえ、夫婦してお四国を巡拝し“親の考えにより娘に迷惑を掛けております、何卒仏様のご加護を賜れ、仏教の霊界の心を娘に賜れますように”とお頼みするのじゃ。』、とのお答えでした。
Cさんにお伝えしますと、「わかりました。 主人は充分に拝みは致しませんが、お四国巡拝に行きたいと頼めば休みの日に車で連れていってくれます。一生懸命お願い申し上げて参ります。」、と申されて帰られました。
三ヵ月後再びお見えになり、ニコニコしております。Cさんのお話には、「不思議な事が起こりました。こちらの御本尊様にお教え頂いたとおりの心がけにて、主人とお四国さんを巡拝させて頂きお詫びを申し、またお願いさせて頂いておりましたら、二ヵ月後に娘の経理事務の仕事が減ってきて収入が少なくなり、娘が申すに、「お母さん、女一人で生きていくのはなかなか難しいわ。」、と弱音を言うのです。
ちょうどそこへひとつお見合いの話を頂いておりましたので娘に勧めてみると、お会いしてみると言うので早速お見合いさせて頂きましたら向こうさんも、また娘もお互い気に入りましてすぐに結婚の話が進み、あっという間にお嫁に行けました。娘は今まで仕事がヒマになるという事がありませんでした。仏様のお力は偉大ですねー。 娘は収入が普通の男の人より多かったので男の人が頼りなく見えていたのです。本当に有難うございました。」、とお礼を申して帰って行かれました。
私の仏様のお心を”心一帰信”に素直に信じられたのが良かったのでしょう。世の中にはなかなかに自分の知恵に負けて信じられない人がおります。
このCさんは娘さんの仕事が減り収入が少なくなっても御本尊様に文句を申しには来られませんでした。その心がけが良かったのでしょう。私も色々なお方から縁談のご相談を受けますが、Cさんの娘さんの様にスムーズにまとまる事は少ないのです。
なかなかまとまらない方の中には、たとえばCさんの娘さんのように収入が減ってきたときの状態になると、“おたくの仏様を信じてお参りしていたら娘の収入が減ってきた。こんなことになったら困るではないか!”というような文句を申しに来る人も多く、お陰を頂けにくいのです。そういう人はみずから仏様よりのお陰を頂けにくくしているのです。
金と人生の幸福とを“両手に花”のことわざのように幸せを得たいと欲張ると、自分たちの持っている福運度を越えた過分なる福運を持った故、不運が付きまとってくるのです。
金に執着すれば人生運が落ち、結婚できなかったり、見た目にとらわれて結婚出来たとしても、後日不運なる結果を招くこともあります。
合掌
昭和52年8月頃の話です。私が高野山にて僧侶の資格を頂いてまだ間もない頃で
した。
昭和52年8月頃の話です。私が高野山にて僧侶の資格を頂いてまだ間もない頃で
した。
その当時は大日如来様にご縁が無く南無大日大聖光不動明王様を一仏御本尊様としておまつりさせて頂きお慈悲を賜っておりました。
Kさん(当時56~7歳) が、御本尊様のご縁にて当寺へ訪ねて来られました。(昔Kさんが若い頃、お母さんが光不動明王様の信者さんだったそうです)
Kさん申されるのに「リュウマチを病んで十数年になります。最初のうちは仕事に行けましたが、ここ数年ひどく病んできまして仕事も出来なくなり、年金を貰うにも60歳にならなければいけないので今は誠に申し訳ないのですが福祉のお世話になっております。生活費も切り詰めぎりぎりの生活をしております。」との事でした。
引き続き曰く「今の病状は、夏スーパーへ買物に行きますがこれが大変なのです。冷房がきいておりますので5分以上店内におれないのです。それ以上おりますと、両膝がとても痛くなって歩行が困難になってきます。
時には店の人にお世話になって店外へ出るのに付き添って頂く事もあります。 情けない事ですが、長年お医者さんへ治療にいっておりますが、リュウマチに対してこれといった薬が無く、多くの人々が苦しんでおります。」と申されるのでした。
私も心よりお気の毒に思い御本尊様にお伺いをさせて頂きました。
お答えに、『(Kさんは)今の暮らしの状態ではお四国順拝祈念とか、その他多く銭のいる方法では無理じゃろう。今日より3日間毎日午前11時に当寺へ参りに来るように、そして救いの方法はワシが教生に乗り移ってリュウマチを病むに至った原因を教えてやろう、そして病のもとを取り除いてやるぞ。』とのお言葉でした。
早速その場で御本尊様よりKさんに対してお言葉がありました、『リュウマチを病む者の多くは、世間の人々に対して”己れ本位の(自分中心主義的な)心”で、態度で接しつき合ってきたのが原因ぞ。おまえも随分かちきそうじゃのう、なかなか人に負けることが嫌いじゃろう。そして人道に正道があるのを知らずして己れの心の物差しを誠の正道として家人・友人・知人・ 職場の人々に対応してきた結果、年上の人と年下の人々の両方におまえは大変嫌われておるじゃろう。辞める前の職場ではどうであったか?』と、Kさんに尋ねられました。
Kさん曰く、「今思えば確かに御本尊様の申される通りでした。職場でも長年年上の人にも年下の方にも、自分の考えが少々間違っている事でも正しいと押し通し続け、自分から負けることがほとんどなかったです。こうして御本尊様の前にいますと私の人生には思いやりが欠けていたと思えてなりません。今までかなり多くの人々の気持ちを傷つけてきたかも知れません。」と、懺悔なさっておられました。
その日はひどくお叱りを受けることはなかったのですが2日目より御本尊様のお言葉に厳しさが増してきました。
長年色々なお方にKさんが接してきた年月をさかのぼって御本尊様が『ワシが今より、心で、口でそして態度で押さえつけられたり言い負かされたり、又はなじられてきた人々になりかわり、徹底的におまえに対しての恨み・辛み・憎しみ・悔しさをぶつけてやろう。
目上の人や目下の人そして老若男女の人々のお陰にて今日の文明の暮らしが成り立っておるのにおまえは全く世の人々に対して感謝の念(思い)が無いといってよいほどの暮らしぶりをしてきた女じゃ。本当に横着者じゃ。
それ故人間が元気で生きていくに必要な足にあらわれたのじゃ。右足には年上の人が、左足には年下の人が支えてくれているからこそ、膝から上の本体が幸せに生きていけるのじゃ。おまえの生きざまが年上の人に逃げられ年下の人にも逃げられるような行いだったので、足・間接・筋・筋肉等が霊的に弱まってしまったのよ。だから正常な人ならば何ともないような事でもすぐに病んで苦しまねばならない。
この糞横着者が、われは何様ほど偉いと思って生きてきたのじゃ。前の職場でのお前の仕事仲間に対しての事を申してみよ。』とのお言葉に対して、Kさん昔にさかのぼってぼつぼつと話し出されました。
話の途中で、その話し方はいかんとか、言葉使いが悪いとか、一言申されるたびにメチャクチャにけなされ怒鳴られ、時には机を壊さんばかりにびっくりするほどの勢いでたたかれ、怒って怒って怒りぬかれました。Kさんはかなりの気丈夫でしたのに、御本尊様の前ではなす術も無く、ただただ涙涙でお詫びされるばかりでした。
仏間は二階にありましたが、あまりの私の声の大きさや、大声で怒鳴り、思いっきり机をドンドンとたたくので、下で暮していた母が何度もビックリしながらかけ上がって様子を見に来たり、時には涙を流しているKさんに同情して私は厳しすぎるなどと文句を言うことがありました。御本尊様より母に対して、『お前に誠の情けがあるなら一階でじっとしておれ。それがこの女に対しての最上の功徳ぞ。』と、母に早く下りて行けというような申され方でありました。
誠にKさんには気の毒でしたが2日目、3日目は午前11時より午後1時までの数時間みっちりと怒られ罵られ、そして嫌味だらだらと御本尊様よりお叱りを受けました。Kさんは、ただただ懺悔するばかりで、誠に世の人々がこんなにも私に対して悔しい心を持っており、その原因を私自身が作っていたとは、自分ながらも恐ろしいばかりですと泣きながら申されました。
3日目の1時過ぎにはKさん畳に平伏して心より御本尊様に対し、今まで自分の作り重ねてきた罪に対するお詫びの言葉を申されました。
そうしたら不思議にも今の今まで烈火のごとくお叱りになっておられた御本尊様がKさんに対し、『もうよいぞ、もうよいぞ、よくぞこの3日間辛抱したのう。これで長年お前に対して恨み・つらみ・憎しみを持っていた人々の念は総てワシが代わりに申してやった。 これで足や膝にまつわり、しみついていた念は退いた。あとは弱まった筋や筋肉、靱帯の回復を待ったら元の元気な体に戻る。やっとリュウマチの根は切れた。よかったよかった。だが健康になったからといって昨日までの気持ちや考え方などで世間の人々に接したならば病気がまたすぐに戻ってくるぞ。よいな、心して今後暮して行くように。』とのお言葉でした。Kさんそのお言葉を聴かれて、今度は嬉し涙で泣き伏せられました。
その日より、次第にKさんは回復なされ1ヵ月後には仕事にも行けるようになったと電話をして下さいました。Kさんに対し御本尊様は何もお供えはいらぬと申されましたが、それでも自分の気持ちが納まりませんと言って毎日百円お供えして下さいました。御本尊様のご指示で3日間私の家で昼食を食べて頂きました。
仕事に行きだされて1ヵ月後お参りに見え、「給料頂きましたので少しですがお供えさせて頂きます」と言いながら数千円お供えして下さりましたが、御本尊様より『3年間金銭のお供えはしなくとも良い。3年後元気で働けて少しく生活にゆとりが出てきた時、 もし感謝の心が残っていたなら、なにがしかの礼は受けるが今のお前からはいらない。それよりもお前と同じ病を患い苦しんでいる人を、貧富を問わず一人連れて来てあげるように。』とのお言葉でした。
しかしKさんは12月の末に再びお参りに来られ、お酒と色々の品物と些少の金銭をお供えされ、御本尊様よりのお言葉に逆らい、同じリュウマチで苦しんでおられる方をどなたもお連れにならずじまいでした。
翌年何度かお参りに来て下さいましたが、私はあいにくと留守でお会いすることが出来ませんでした。以後数回Kさんからお電話を頂きましたが総て私は不在で、そして私から電話しても訪ねて行ってもKさんには不思議とご縁が無く、お会いすることが出来ませんでした。
残念ではありますがKさんは御本尊様より外されてしまったのです。あんなに苦しんでいたのが元気になり暮していけるようになったのに、なぜ同じ病で苦しんでおられるお方を1人でもお連れ出来なかったのでしょうか?
当寺の御本尊様は”人の幸せがあって初めて自らの幸せがおとずれる”と、おっしゃられるお方です。
仏様よりのお救いの方法もご縁があって参られた人それぞれによって異なり、貧しくしている人にはそれなりに、また豊かなる人にはそれなりに違った形で、その人の心をお試しになられます。私どもを金取りの様におっしゃるお方もおられますが、仏様も神様もかすみばかりをお食べになりません。家も屋根も必要でありますし、汚れ腐らぬ様に掃除や補修をしなければいけません。仏様も神様も人を使って救いの手を差し出して下さるのです。
つい先日、Kさんが市場にて元気そうに買物をしておられる姿を見かけました。あれからは心のもち方を変えられたのでしょう。いつまでも人々への思いやりを忘れずにお元気でお過ごし下さいと、私は心の中でKさんの幸せを祈りました。
合掌
リウマチを救っていただいたKさんの場合は、御本尊様に病気の原因の念はすべて消してもらえたので、以後感謝のお参り・お供えは必要ありません。
リウマチを救っていただいたKさんの場合は、御本尊様に病気の原因の念はすべて消してもらえたので、以後感謝のお参り・お供えは必要ありません。
自分が再び原因を作らない限り、リウマチで苦しむことはないのです。
当寺においでになる方全員が、原因を消していただけるとは限りません。それは、おいでになった方の一心の重さ・深さ、そして原因の大きさ・重さ、深さによっては、原因消滅には大変な努力が必要となることもあります。
いっとき、 原因より発せられている念を止めていただいたのを、自分流に楽な方に考え、 感謝を忘れたり原因消滅の努力・徳積(とくづみ)をやめたりされる方がおります。
そのような方は、早い人は数日後に、遅い人は数か月後又は三年後までには、不幸せに利子が付いて現れております。
苦しみが緩和されると、 あるいは願いがかない幸せになると、誠に残念なことですが、私を信じきっていただけないために、「もう苦労できるか。」と、自己流の考えに戻り暮らしていくうちに、病が再発したりもっと重い病になって現れたり、幸せな暮らしが崩壊した方が複数おります。
このKさんは元気になり、仕事を始めて三か月目に少し左足の膝に痛みが出たそうですが、御本尊様のお教えを思い出し、今日の暮らしぶり・会社での同僚に対しての自分の言葉・行動を振り返ってみたそうです。
そうしたら若い方に対しての言葉使いが、教えていただいた道に外れているのに気付き、 若い方に心よりお詫(わ)びし、日々の言葉使いを改善すると、痛みが消えていったそうです。
Kさんは御本尊様から『今のお前は元気な人と違って病気に対してゆとりがない。すぐ症状が現れるぞ。だが良い心で毎日精進重ねていけばゆとりができてくる。』とお知らせいただいておりました。
Kさんも三日目の午後一時すぎまでは、正座し両膝の上で拳を握り、ブルブル震えながら御本尊様のお言葉をかみしめておりました。このような態度の間、御本尊様に怒られぬかれました。
心の底から納得し懺悔(ざんげ) の心が沸き起こってきたのか、突然、畳に両手をつけ額を畳にこすりつけ、 涙をボロボロの流し嗚咽(おえつ)混じりの鼻声で「お許しくださいませ。私が悪うございました。」と泣き崩れると、今の今まで烈火の如くおさとしされていた御本尊様が突如して優しいお言葉になり、『もういい。もういい。心の底よりわかればいい。 再び同じ過ちを繰り返さないようにせよ。』と、有り難いお声で励まし慰めてくださいました。
御本尊様は突然やさしくなられます。有り難いことです。
この話と同じで、「長男さんに家出された夫婦の話」があります。
合掌
私は高野山のある宿坊(しゅくぼう)寺院で大変お世話になっておりました。
私は高野山のある宿坊(しゅくぼう)寺院で大変お世話になっておりました。
寺院の手伝いをさせていただきながら、夜中に奥の院御廟(ごびょう)への参拝修行をさせていただいておりましたときの話です。
御夫婦が寺を訪れ、執事さんに太平洋戦争で戦死した御主人の兄弟の供養をお願いし、寺に来た経緯を話しているのを隣の部屋で聞きました。
「私どもは商売をしており、子供は二人おります。そんな中、2か月前に家業の手伝いをしていた長男が、突然フーッといなくなったのです。家出する日まで私どもには全く気になることはありませんでした。どのような原因で出ていったのかも分からず、息子の白色の車で出ていったので、「白色の車が谷に落ちている。」と聞けば飛んでいきました。
お伺いをしてくれる方のところを尋ね回りまして、8軒目のところで、「あなたのところは太平洋戦争で亡くなった人がいるようだね。その方の供養してみるといいですよ。」と教えてもらいました。家の近くのお寺で供養をとも考えたのですが、高野山のお寺でお願いするのが一番良いと考え、和歌山県の方はこちらのお寺さんにお願いにこられる方が多いと聞きました。どうかよろしくお願いします。」と、母親は涙声で話しておりました。
執事さんが塔婆を書き、私の先輩の僧侶が法要しました。法要のあと執事さんから、塔婆を奥の院の水掛(みずかけ)地蔵さんのところへ持って行くように、説明を受けておりました。
このとき私は、”この通りにしても息子さんは帰ってこないのでは”と思い、他人事ながら、お大師様にお伺いしますと、
即座に『夫婦ともに心の底よりすがってくるようでないと幸福は来ない。父親が、まだ駄目だ。 』と、お言葉がありました。
「お大師様、私はこの寺にお世話になっております。 何か役にたたせていただきたいと思っております。何とぞ私めの心をおくみ取りくださいまして、この御夫婦をお救いくださいませ。」と申し上げましたら、
お大師様より、『お前が頼むなら、お前を通して助けてやろう。夫婦に話をせよ。』とのお言葉を頂き、ついついしゃしゃり出てしまいました。
御夫婦にお大師様のお言葉を伝えますと、「是非とも導いていただきたい。」と言われ、受付の机を挟んで話をしました。母親はずっと涙ながらでしたが、父親はきっちり正座し、やることをやっておる、というような態度でした。
私が合掌するとひとりでに言葉が心に湧いてきました。お大師様でしょう。父親にどんな捜索の仕方をしているのか尋ねました。
父親は、「ちょっと家庭の事情で、家出した直後は身内だけで、あちらこちら探しました。情報があれば知らせてもらえるよう頼んでおりましたが、なかなか手掛かりがなく、家出してから一月(ひとつき)半たった一週間前に、警察に家出人捜索願いを出しました。」と話しました。
それに対してお大師様は、どうして警察に届けを出すのが遅くなったのだー、と質問されました。父親が、「私どもも、そこそこの暮らし・商売をしており、 姉も県内ではある程度の家督のある家に嫁いでいるので、世間体もあり自分たちで探しておりました。」と話しますと、
お大師様より、とてもきつい口調 ・お言葉で、『そのお前たちの心のおごりが、今日息子を家出せねば真の幸福は得られないように思わせ、家出に走らせたのだ。どれほどの財があろうとも、誠の人間の心・道を知らずして長く栄えたためしはないぞー。おごり高ぶるのもいい加減にしろー。』とのお言葉に、父親は一瞬たじろぎはしたものの、私を睨みつけて何か言いたそうに震えていました。
更にお大師様より、お前たちの家の状態を言ってみろ、とのお言葉に父親は、「息子が家庭を持っても十分な広さに、家も建ててある。」と、お大師様に申し上げる口調・言葉ではありませんでした。”何が大師が言っているのか。お前が言っているのだろう。”と内心思っているのでしょう。大概の方はこの父親のように思われます。
お大師様から『わしは「のちの弟子たちよ。何事も世に従え。」と言い残しておる。 お前たち夫婦も世に従って一家の暮らしを考えていたならよかったのう。霊界からお前の家の暮らしを見ると、お前たち夫婦が使い減らした残り少ないちっちゃな灯火(ともしび)となったロウソクのあかり ・暖かさにて暮らしているのだー。金や身分にとらわれて善徳(ぜんとく)を積むこともせず、まじめ一徹に暮らしたとて霊界のロウソクは増えはせぬー。この残り少ない小さなロウソクの下(もと)で、息子が嫁さんをもらったら一緒に暮らせると思っているようだが、誰が今にも消えそうなロウソクの家に一緒に住みたいと思うかー。だから息子は出ていったのだ。分かったかー。 』とのお言葉がありました。このことが十分わかっておれば、今日の事態に至ることはなかったのです。
父親は相変わらず私を睨(にら)みつけております。重ねて、『お前たちと違って息子はいい息子だなぁー。本当にとても親思いの良い息子だ。こんな良い息子を家出するまでに追い詰めて、困った夫婦じゃー。お前たちの息子はなあー、家出した後働かなくては暮らしていけないので、あるところで働いておる。だが真面目な子なので、昼間は両親のことは忘れて一心に勤めているが、夜休むときになると毎夜毎夜両親のことを思い出して懐かしがっているぞー。息子も分かっていないが、その心が魂となって一瞬のうちに家に帰ってきておる。 だが両親は、いまだ一向に家出当時のまま、小さな残り少ないロウソクの暮らしをしておるの見て、寂しそうに帰っておるぞー。感じておるかー』と、
お大師様がおっしゃっている間に、な、何と今の今まで私を睨(にら)みつけていた父親が涙を流し始め、涙と鼻水でくしゃくしゃになった顔で、 今にも大声で泣き出しそうになっています。始めからシクシク泣いていた母親も、おいおい泣き出しました。
そして突如として父親が畳に両手をつけ、 額を畳にこすりつけて、「お大師様、申し訳ありませんでした。お許しください。ちっとも息子の気持ちが分かっておりませんでしたー。」と、うーうー泣いて泣きやまりません。そして、「私どもが悪うございました。悪うございました。」と、お大師様に心の底よりおわびを申し上げているようでした。
するとお大師様より、『もういいー。もういいー。分かったならもういいー。その涙の乾かぬうちに早く夫婦で奥の院に来て息子のことを頼んでこい。十日の内に帰してやるぞ。』とのお言葉を頂きました。なぜか私までも涙がにじみ止まりませんでした。【あーあ、良かった。しゃしゃり出てしもうたが、本当によかった。】と思えました。
父親は涙をふき、「有り難う御座います。有り難う御座います。お坊様のおかげで目が覚めました。お礼をさせていただきたい。」と言われましたが、「いいえ私はいいです。息子さんが十日の内に元気に帰ってこられたら、 この寺院と奥の院のお大師様にお礼してください。私は一介(いっかい)の修行僧でして、今日こちらのお寺に御厄介になっている者です。気遣い無用にしてください。それよりいっときも早く奥の院に行って、お大師様にお頼みしてください。」と御夫婦をせき立てて玄関まで見送りました。
この御夫婦と話しております間ずっと、寺内の者からの背中に刺さるほどの邪気・悪気(あっき)を感じておりました。寺では台所に隣接した茶の間で寺内の一同が車座になって食事を頂くのですが、この日は嫌というほど邪気・悪気(あっき)を感じました。食事が終わったのち、いっときも寺にいたくなくなり、執事さんに、「十日後の結果をお知らせください。」と伝え、四国に帰りました。
人の邪気・悪気(あっき)の恐ろしさをつくづく感じるいい修行になりました。寺院内の一同が聞き耳を立てて、「あんな大言壮語しているが、大丈夫だろうか。日ごろから霊感霊感と言っている若造が。」と思われていたのでしょう。
十日たち、一月(ひとつき) 経っても何の連絡もありません。【やっぱり駄目だったのかなあ。あれほど手応えがあったのに。何かの邪霊にとりつかれて、お大師様と騙(だま)されていたのかなぁ。】と毎日が憂鬱でした。
月日が流れて半年ほど経つと忘れかけておりました。暮れも押し詰まり、お大師様に一年のお礼のお参りさせていただこうと思い、御本尊様に申し上げますと、 『高野山へ行ったらいつもの宿坊寺院に挨拶に行っておけ。』とのお言葉がありました。
「御本尊様、いやですよー。何の連絡もないということは良い結果ではなかったのですから。」と申し上げましたが、一向に取り合っていただけません。仕方なく高野山に行き、寺の院内へ裏口からソーッと隠れるように入っていきましたら、先輩の僧侶がおります。
仕方なく、「御無沙汰いたしております。」とお土産を渡そうとしますと、「早く上がれ。上がれ。」と言われます。「どうしてそんなに歓迎してくれるのですか?」と尋ねますと、「君の所に連絡は届いていないのかい。例の息子さんに家出された夫婦が七日目にお礼に来たよ。大変感謝して君のこともしきりに尋ねて、”くれぐれもよろしく申し上げてください。”と、お礼を供えていかれたよ。」とのことです。
「私には何にも連絡なかったですよ。」と言いますと、「みな、あんまりパッチリおかげを頂けたので、”早く君に知らしてやらなければ。”と、 互いに言い合っていたのに、忙しさにかまけて、”誰かが知らせてくれるだろう。”と思って連絡しなかったのだねぇー。すまんすまん。」とのことでした。
この日は奥の院御廟を参拝し、お寺に泊めていただきました。寺院内の方と茶の間で食事を頂きましたが、皆さんの暖かい感じがとても気持ち良く思いました。
人の心とは、尊くもまた恐ろしいものですね。邪気・悪気(あっき)の心になると人を突き刺すようになり、優しい穏やかな包容心・尊敬心にて発する気は、人を温かく感じさせるものです。
私も毎日御本尊さまに、「未熟者ゆえ、寄ると触ると邪気・悪気の心になって他人を思うことがあります。何とぞ先方に行きませんよう、私に返してください。」と、お願いしております。
執事さんから御夫婦のお礼に来られたときのお話を聞かせていただきました。
「息子さんは中部地方のある都市で、家具の配達の仕事をしていたそうな。 それが夫婦が来た2日後、昼間運転中に信号無視の交通違反で捕まったそうな。そのときのお巡りさんが免許証をみて、住所が県外なので何となく心に残り、警察署に戻って「家出人では。」と思い、調べてくれたそうな。そして親に連絡してきてくれたとのこと。
両親は早速翌日(3日目)に息子さんの働いてるところに迎えに行くと、すんなりと家に帰ってきてくれたそうな。「本当に有り難い。有り難い。」と言っていたよ。だけど不思議なことが起こるものよねえ。2日目に居場所が分かり、しかも交通違反で。また迎えに行ったらすんなりと帰ってくるなんて。お大師様は本当に凄いことをしてくださるんだねえ。自分も高野山に長く住んでいるけど、こんなに有り難いことに出会ったのは、ほとんどなかったよ。」と、えらく感激されておりました。
お大師様は十日の内にとおっしゃいましたが、三日で帰られるとは。また交通違反をさせて居場所を両親に教えてくださるとは、何と有り難い凄いことでしょう。息子さんは毎夜魂で帰っておりましたので、両親の心が変わったことで、息子さんも家に帰りたい気持ちになっていたのでしょう。
この話でもリウマチの女性の話でも、仏様お大師様の御教導お救いの方法には、ご祈祷・ご供養(善徳積(ぜんとくづみ)の行・感謝行)等は一般の方法。また、私を使われては、おこり・さとし・道を教えてくださり、 心底より懺悔(ざんげ)しすがるものは温かく助けてくださります。本当に有り難いことです。皆様もこのお話を参考にしてくださいませ。
お大師様から『両親に息子が帰ってきて嫁さんをもらうようになれば、土地も広くあるようなので、小さくてもいいので息子夫婦の独立した家を建ててやるがよ いぞ』と、お言葉がありました。両親も、「そのようにいたします。」と言っておりました。
合掌
父の供養を願って毎年大寒の季節に三年四国巡拝を思い立ち、三年目の大寒の巡拝も八十八番さんで無事終わりました。
父の供養を願って毎年大寒の季節に三年四国巡拝を思い立ち、三年目の大寒の巡拝も八十八番さんで無事終わりました。
3回の行ともに、行きも帰りも箸蔵寺金毘羅大権現様でお参りさせて頂こうと念じておりましたので、箸蔵寺へと参りましたおりの事です。
山道には、雪が所々に残り、山上の御本堂は辺りを沢山の雪に囲まれていました。箸蔵寺御本尊金毘羅大権現様がお祭りされています御本堂へと、長い階段を登って行きました。
御本堂にやっと到着するとこの年に限って急に小用をもよおし、どこかにトイレはないものかと見回すと、本堂に向かって左手前の木陰に小さい便所が見えました。
ああ、有り難い事だと、早速用足しに飛び込んで行きました。すると、3つある男性用の小便器のどれもが”ちり紙”で詰まっており、その上に用便したのか、どの便器も水平線ギリギリまで小便が満杯に溜まっているのです。
これは困った、尊厳なる御本堂の近くで立ち小便する事は、この時ばかりはなぜか気がとがめるし、小用は内より押し出ようと切迫するという具合です。
「ようし、一人分でも詰まっている汚物を取り除いて使えるようにしよう。」と辺りを見てまわりました。何か挟む物はないか、又は何か棒のような物でもないかと探しましたが、狭い便所内には何もなく
「えーい、手でつかんで取ってやれ。手は洗えばすむ。」 と、真ん中の小便があふれんばかりに溜まっている便器に手を差し入れて、詰まっているチリ紙汚物をつかみ取ると、溜まっていた小水はすうっと下の方に流れて行きました。
詰まっていた汚物を捨てるために、大便用トイレの戸を開けると、戸を開けてすぐ入口まで大便や汚物でいっぱいになっており、足を踏み込む事が出来ません。
3つある内の残りの1つもどうかなと覗いてみましたが、どの便所も同じ様に入り口まで汚物があふれており、入って用足しは出来ません。手に持っていた汚物は、左手で入り口の壁をつかみ、体を便所内に乗り出して、便器の中へ投げ棄てました。
早く手を洗って用を足そうと、手洗いの方へ歩きはじめましたが、「まてよ。もし女の人が用足しに来ても、今の状態では自分と同じ目にあわなければならない。ええいついでだ。 手の汚れついでに、大便用トイレも一ヶ所使えるようにしといてやろう。」と考えて、
ふと見ると、手洗いの窓に新聞紙があるのが目に止まりました。新聞紙をちぎっては汚物をつかみ取り、つかみ取り、つかめなくなった分は、ある程度こすり除けて、その上に新聞紙を入口より数枚敷いて、使用出来るようにしました。
もう自分のおなかが痛くなるほどになって来たので、急いで手を洗って用を足しました。やっと放尿出来た気持ちよさと同時に、何となく心にすがすがしい思いが湧いて来ました。
寒さは随分厳しかったので、用便をすませると、御本堂へと急ぎました。
本堂の正面、濡れ縁に敷かれている畳に座り、三礼の後に合掌して、「御本尊金毘羅大権現様、お陰様で大願の三年間大寒四国巡拝も無事終わりました。有り難うございます。 心より御礼申し上げ、今後の仏道向上に何卒お慈悲を賜りますよう申し上げ、これよりお経をお唱えさせて頂きます。」と唱え始めようとすると、突然本堂内より、
『お経唱えるには及ばない。帰れ。』との声が聞こえて来ました。
「えっ、お経をお唱えさせて頂けないのですか。ひょっとしたら、先ほど便所で素手で汚物を掃除しましたのが不浄だったのですか。」と尋ねましたら、
『そうではない。仏道修行というものは、お経真言を唱えるばかりが修行ではない。おまえは、本日は便所で世の人の為に浄業修行したではないか。 無心で人の為に奉仕する事も最上の修行なのだ。本日の心、忘れるでないぞ。』とのお言葉を賜りました。
「ああ、仏様は我々が何処に居ようと、何をしていようとしっかりとお見通しなんだなあ。」と勉強させて頂きました。
御本尊様金毘羅大権現様の本日の実に有り難い御心に、一心に合掌、御礼申し上げて、お言葉通り帰らせて頂きました。
帰りの車中で、しみじみ思いましたが、今日までの人生では悪行ばかりの事が多かったなあと、そしてつくづく反省いたしました。
合掌
母親Aさん64歳、息子さん41歳。 母親Bさん67歳、息子さん37歳。昭和53年頃の話です。
母親Aさん64歳、息子さん41歳。母親Bさん67歳、息子さん37歳。昭和53年頃の話です。
私が兵庫県の知人のお寺に、おまつりの手伝いで行っておりました時のことです。
知人である住職さんの奥さんから、 「知り合いの人が、息子さんになかなか嫁さんが来てもらえないので困っているそうで、教生さん助けてもらえんかねえ。」と頼まれました。 午前10時頃の事でした。
「今日中においでるなら御本尊様にお願いしてみましょう。」と伝えましたらすぐ電話をされたらしく、遠方から夕方頃に母親のAさんとBさんが2人して、息子さんにお嫁さんが来てもらえるようにと相談に来られました。二人は互いに家がすぐ近くにあり親類だそうです。
Aさんは、「子供は何人かいますが女の子は皆お嫁行き、長男は40にもなるのに縁が遅く困っております。」と言われました。早速御本尊様にお伺いしてみましたところ、Aさん夫婦に信心が足らないこと、信仰に対して考えが違っていること等、色々御指導たまわりました。遠方から来ていただいたので、「他に何か御本尊様にお尋ねすることは無いかね。」と言いましたところ、Aさんは、「今回は息子の結婚のことで寄せていただきました。仏様のお慈悲を賜り息子が一日も早く結婚させていただけますよう、このことだけのお願いです。私に何か至らないところがあれば一生懸命に努力しますのでおっしゃっていただきたい。」と言われました。後で分かったのですが、Aさんは大変な病気持ちの体だったのです。 この時は一願一心でした。
次にBさんとお話させていただきました。Bさんは「末の男の子は37歳になりますが、ひとり縁が遅くて困っています。 なにとぞよろしくお願いします。」と言われました。早速御本尊様にBさん 方の事情を申しあげお伺いしました。お答えがありBさんにお伝えしました。 Bさんはこの後仏様に次々と他の子供たちの幸福について、また自分の健康について等いろいろとお伺いしてくださいと言われ、お言葉を御本尊様よりいただきました。
Aさんの息子さんは、この一年前に見合いをして、とても気に入った娘さんがいたのですが、先方から断られたのでもなく、連絡が途絶えていたそうです。
Aさんが祈願された翌日、Aさんが午後家に帰ってみると仲人さんを通してこの娘さんから、「再びお付き合いさせていただきたい。」との話が来ていたそうです。息子さんの好みのタイプの人でしたが、一年間なしのつぶてだったので、少しは考えるところもあったようですが付き合い始めました。何度か会ううちにふたりとも「結婚してもいいなあ。」と思うようになったそうですが、またまた連絡がなくなったそうです。
Aさんの息子さんは都会へ出て働いていて、この娘さんも都会で暮らしておりました。Aさんの家は田舎で、田畑が少しあり、農業を営んでおられました。親思いの息子さんは農繁期には休みを利用して手伝いに帰ってきておりました。このことが娘さんの両親には娘さんの結婚後に気になることで、はっきりとした意思表示がなかったのです。Aさん御夫婦は、仲人さんを通して、「息子のお嫁さんに、自分たちの老後をみてもらわなくてもいい。田畑を守ってもらわなくてもいい。」ということを、 先方の仲人さんに伝えてもらうよう頼んでおいたそうです。
付き合い始めて半年近くなりますのにAさんから結婚が決まったという知らせがないので、私はAさんの家に行ってみました。「どのようになっていますか?」と尋ねてみましたら、「それが前回と同じで、どうしたのか先方から何の連絡も無いのです。親子三人困っています。」と言われました。
私は御本尊様に、「Aさんの息子さんの今回の縁は、満つりますか?それとも流れますか?」とお伺いしましたら、御本尊様より、『こちらの意思が先方に十分に伝わっていない、先方の仲人をとばして、 夫婦で先方の両親と娘さんに会って、ハッキリとこちらの親の思いを伝えてこい。』とのお答えがありました。
Aさん夫婦にお言葉をお伝えしました。数日後A さん御夫婦は先方を訪れて思いを伝えたそうです。そうしましたら数日後先方から、「娘をもらっていただきたい。」との返答があったそうです。
後日分かったことですが、先方の仲人さんが、娘さんやその両親に 、Aさん御夫婦の気持ちをきちんと伝えていなかったのです。
どうやらAさん夫婦が世間知らずのため、先方の仲人に挨拶の礼金をしていなかったことが原因だったようです。「井の中の蛙大海を知らず」のたとえのように、自分たちの地方のしきたりのみの考えしかできなかったのか、はたまた仲人が欲深かったのか、いかがでしょう。結局この仲人に出会わなければいけないAさん方の因縁があったのではと思います。翌年の春、結婚式を挙げられたそうです。
ところ変わって、Bさんの息子さんには2〜3見合いの話があったそうですが、まとまっていません。やはりAさんは心一帰信だったからでしょうか…。
Aさんは後日、ご自身の病気に対して御本尊様よりありがたいお守りをいただかれて、その後ご縁が遠くなりましたが、今も元気に暮らしておられるそうです。
後日談になりますが、Aさんからは息子さんの結婚式の日も何の連絡もありませんでした。
私は何も知らず、四国へ帰ろうと車で近くを通りました時に何気なく訪ねて行きましたら何と、道路沿いの氏神様に大勢の人が集まっています。何の集まりかと尋ねましたら、Aさんの息子さんの結婚式が終わり、氏神様へ土地のしきたりで報告に参拝しているところでした。
集まっている女性たちはロ々に、「綺麗な人やね〜、都会の人は垢抜けているね〜、色白で綺麗な人やね~」と言っています。私は、いやはやびっくりしました。なんという巡り合わせでしょう。遠くからでしたが背も高くスーッとした綺麗なお嫁さんでした。息子さんもとっても嬉しそうなお顔をしておりました。
仏様のお力の凄さに心服するとともにAさんにも会うことなく、お二人のお幸せを遠くから合掌してお祈りし、帰りました。よかったよかった。
Aさんは、息子さんが結婚されるまでにあまりお礼をされませんでした。
この当時、私共も母子してこのAさんと同じような考えで暮らしておりました。恥ずかしくも感謝の価値観が薄くて分からない人間でしたが、Aさんを通じていい勉強をさせて頂きました。
仏様のお心に沿えるように感謝できるようになるのは、多くの方がなかなかに難しいようです。
心一帰信(しんいっきしん)
ただひたすら一仏一神を信じ帰依することです。
合掌
Tお婆ちゃん82歳・末息子のお嫁さんSさん40歳
Tお婆ちゃん82歳・末息子のお嫁さんSさん40歳
私が知人のお寺さんへ寄せて頂いていました頃、毎日うば車を押してお参りされていたTお婆ちゃんがおられました。
つたない私ですが、当時そこのお寺でしばらく参拝者の悩みやお願い事に関する祈願の方法などを指導させて頂いておりました。Tお婆ちゃんとは月参りでお会いしておりましたがご依頼を受けたのは3ヶ月目の時でした。
Tお婆ちゃん曰く「2ヵ月ほど前よりあなた様の御教導話しを聴かせて頂いておりました。 最初の頃は不思議なことを説くお坊さんじゃあ・・・・ 自分の長年の信仰知識ではなかなかに納得がいきませんでしたが、ご指導頂いた通りに信じて実行された人が本当にビックリするようなおかげを頂いたのを目の当たりに見て、おすがりしたい気持ちになりました。
実は私の末息子の嫁のSが、良く分かりませんが何らかの霊に取りつかれているみたいで、毎朝目が覚めるとすぐに“おまえみたいな女はすぐに死ね”とか色々な言葉で罵り貶し、一時も頭が静かになることが出来ず、数年前よりノイローゼになり寝たり起きたりの毎日です。
息子や孫達のことを思うと胸が痛み、私も何とか救ってやりたい、健康にしてやりたいと色々な御祈禱所や修験者さんにお願いしましたがどうしても良くなりません。 ある霊能者さんは、お四国順拝したら良くなるというので、81才の身を押してそこの順拝団に加わりお四国を回りましたが一向に良くなりません。相当お金も費やしました。
もう私ではどうすることも出来ないと諦めておりましたが、あなた様ならひょっとしてお助け下さるのではと感じました。どうぞ息子の嫁を助けて下さりませんでしょうか?」とのご依頼でした。
早速御本尊様である光不動明王様にお伺いしましたところ『よし、救ってやるぞ。 だがこの嫁を助けるにはおまえ(私)が10日間ひたすらこの祈願成就の為の修業に出掛けねばならぬ。一日壱万円要るので、この者に10万円持ってくるように告げよ。』とのお言葉でした。
お婆ちゃんにお伝えしたところ、のちほど持って参りますと言って家に帰られました。月参りに来ていた他の信者さん方が陰口にて、「ほら、やっぱりあの和尚も金取りなんだよ。10万円持って来いだなんて・・・」などとヒソヒソ話をしておられました。
その日のうちにお婆ちゃんはご長男のお嫁さんに同行されて来られました。10万円の入った茶封筒を受け取り、そのことを御本尊様にお伝えしたところ、Sさんに電話してすぐこのお寺に来るように、との事でしたのでそれをお話したところお婆ちゃんは随分困った様子でした。
聞いてみると、Sさんお寺や神社へ絶対足を踏み込めない宗教教団に入っておられたのです。長男のお嫁さんも寺の和尚さんご夫婦までが、それは難しい事ですよと申されるのです。
私も困ってしまいましたが御本尊様の申されたゆえ、何かきっと奇跡があるものと確信し、お婆ちゃんに「御本尊様のおっしゃることなので、もしおすがりする気持ちがあるならどうのこうの言わずにまず電話してみなさい。その結果にて文句を言ったらいいから」と申したら、誠に申し訳ありませんと言いながらおばあちゃんSさんのところへ電話をかけました。
Sさんがどう返事をするものかと一同、固唾を飲んでおりましたが、驚くことにSさんタクシーで来るということです。お婆ちゃんは興奮しながらS さんが来ることを喜び、また御本尊様のお力できっと願い事がかなうものと確信されたのか、涙を流されました。
ほどなくSさんが来られました。一目でノイローゼとわかるほど顔の色は青白く、頭はしばらくクシを通したことがないような髪型でした。
私と対面して座っておられるSさんに御本尊様より元気になりたいかと質問があり、それを伝えますと、「はい。一日も早く元気になりたいです。どうぞよろしくお願いします。」とのご返事。
重ねて御本尊様より『よしよし、わかった。おまえの完全なる健康回復には 3年かかるが、それにはおまえ自信も努力せねばいかん。それは美容院へ行って髪型をきれいにしてもらうことじゃ。これからはいつも頭をきれいにせよ。さすれば病は別としても、おまえの姿を見て家庭内は明るくなる。いま病気でいるおまえが出来る”人を喜ばす方法”はそれしかない。たとえ身内でも良い、自分以外の人の幸せを祈り、実行する者には必ず幸福がやって来るものじゃ。』とのお言葉でした。
Sさんにお伝えするとためらいながら 「そうですね・・・・ 御本尊様のおっしゃられる通りですが、経済的に苦しいのです。 私がこんな病に取りつかれ同じ宗教の信者さんに相談しましたところ、お金を貸したら早く良くなる様に言われ、借金して貸しましたが返してくれません。主人にも迷惑を掛けまして、少しずつ返済しておりますので美容院代が無いのです。」と、恥ずかしそうにおっしゃるのです。
それを聞き、私も御一同もその者に対して、またその宗教教団に対して腹が立ちました。人の弱みに付け込んで何ということでしょう。
御本尊様よりお言葉があり、先ほどお婆ちゃんより預かった10万円から3万円をSさんに渡し、それを美容院代にするようにとのことでした。Sさん大変恐縮されましたが御本尊様に従い、お金を受け取り帰って行かれました(お経も唱えずまた何もしないで、ただ美容院へ行くだけでいいのですか?と、Sさんは不思議そうに何遍も私に問いかけてきました。今までの信仰の経験からは想像もつかなかったのでしょう。とにかく翌日、早速美容院へ行かれたそうです)。
10万円お婆ちゃんが持ってこなかったらこのようにスムーズに行かなかった事でしょう。御本尊様はお婆ちゃんの心を試されたのでした。
そしてこの日は残金の7万円はお返ししませんでしたが、半月後、御本尊様のお指図により7万円をお婆ちゃんに送金しました。御本尊様によると、Tお婆ちゃんもまたSさんもその御家族の皆さんも信じて努力しだしたので、もうお試しは必要ないとのことでした。
後日お婆ちゃんより電話があり、「なんぼ金取りと違うと申されても一文もお受け取り下さらんと暮らしていけんではないですか。とりあえず1万円送りましたのでお受け取り下さいませ。また後日おかげを賜り御本尊様が受け取って下さると申して下さるなら残金を送らせて頂きます。S子が元気にならせて頂けましたらお礼を別に送らせて頂きます。」とのことでした。
話は戻りますが、Sさんが帰られた後、御本尊様からのお知らせの続きをお婆ちゃんに伝えました。
御本尊様がおっしゃられるには、Sさんの所の新興宗教の仏壇はいけないということです。 お婆ちゃんはこの件について、その夜息子さんとお話なされました。翌日Sさんのご主人が車で仏壇と関連備品等を総てお寺に持って来られました。私はすみやかにそれらを処分致しました。
数日後、このご主人は勤務中トラックに追突され、前後を挟みこまれる大きな事故に遭遇しましたが(車はメチャクチャに大破し即死してもおかしくない事故でした)、奇跡的に軽い打撲傷ですみ、2~3日休んで元気に再び会社に出社されたそうです。こんな事故に遇われたのですが、御本尊様である光不動明王様のお陰で大事に至らず、また新興宗教団体から脱退することが出来たことをご主人大変喜んでおりました。
Sさんは数か月たった頃から霊の憑き物はまだ退きませんが、あまり気に掛からなくなりパートで働けるまで回復しました。
お婆ちゃんとはその後もお付き合いが続き、御本尊様へのご相談を受けるようになりました。御本尊様のお導きを忠実にそして素直に実行されましたら、長い間遠くに住んでいた末息子さんがまた以前のように近所のアパートに帰ってきたのです。
Sさんが悪い奴らの為に借りたお金の返済も、御本尊様のお指図に従ってお婆ちゃんが支払ったそうです。近所に住むようになってからはSさんはお婆ちゃんの面倒を良く見てくれるようになり、 小遣いも毎月とどけてくれるそうです。このような末息子夫婦がいるので本当に幸せですと、ある日お婆ちゃんが私に話してくれました。
さて、Sさんのことですが2年半して突然尼崎より電話を頂きました。
Sさん曰く「バカ死ねと罵りまくっていた霊が数日前より今までとはうって変わり、誠にすまなかったと後悔しこれからは仲良くしようと執拗に詫びて泣き事を言うようになってきました。随分苦しめられましたがこの様に申されると可哀相になります。どうしたら良いでしょうか?」とのお尋ねでした。
光不動明王様にお聞きしたところ、『可哀相と思いこのまま自分についておいてやりたいというのならそれでも良いぞ。だが、わしが手を引いたなら即座に元に戻って前より増して苦しめられるぞ。どちらを取るかはおまえしだいで良いぞ。』とのお言葉でした。Sさんはおどおどした話し方で「本当ですか、恐ろしいことです。霊には情けをかけませんのでほっときます」との返事でした。
それから2ヵ月後、Sさんからお礼として3万円お供えが届き同封の御手紙を読みました。「もうすっかり霊も退き、頭の中もすっきりし毎日元気でおります。心よりお礼を申し上げます。ありがとう御座いました。」と書かれておりました。
光不動明王様が3年かかるぞと申されましたが、私はSさんのことを忘れかけていましたが御本尊様は誠に厳密に実行されました。2年半目でこの取りついた霊に対して光不動明王様より正道の霊力光明が捕縛しに現われたのでしょう。 この憑依霊(ひょういれい)がいち早くそれを感じとったのに違いありません。
不思議なことと思うかも知れませんが、我々の住む現代文明の世であっても、科学的に解明できない現象がよく起こるものです。 Sさん美容院へ行って頭をきれいにされ、家族の心を幾らかでも明るくさせたいと努力されたのが良かったのです。
元気になったSさん、美容院へはあまり行かず自分で髪の手入れをしているそうです。美容院へ行ってお金使うのはもったいなかったんでしょうね。
人に喜びを与える人は自らも幸福になります。
Tお婆ちゃんSさんの借金を総て払ってあげたので、うんと良くしてもらえるようになったのです。 老人にとって若い人の思いやりの心が何よりありがたくうれしいものです。
お婆ちゃんもSさんの借金の返済へのお金を惜しんでいたら、心身の幸福は得られなかったのです・・・・・
合掌
大地山 教生寺