教導体験談義
教生寺のはじまりは、師・教生の深い信仰体験なくして語れません。
その歩みの一端を、ぜひご覧下さいませ。
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※お話は随時追加いたします。
教生寺のはじまりは、師・教生の深い信仰体験なくして語れません。
その歩みの一端を、ぜひご覧下さいませ。
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※お話は随時追加いたします。
私が25歳の時、父が肝硬変にて入院しました。
私はきっと良くなるだろうと思っておりましたが、父の容態は悪くなるばかりでお腹が膨らみ手足もむくんで来て、食欲も無くなってきておりました。
親戚の方に「お父さんの病状はあんまり良くないのでお医者さんの治療の他に何かせんと、自分が昔から行っている観音さまを祀っているお寺があるけど行ってみるかね?」と教えて下さいました。12月31日のお昼過ぎでした。
その頃、私は全くの信仰音痴(無信仰者)でした。
学校の勉強もろくにせず遊ぶ事のみ一生懸命で社会にも迷惑の掛け放題、職業も転々と心のおもむくままに変わり、 本当にわがままし放題で暮らしてまいりました。
そのような私に対して父は小言ひとつも言わず大きな心で見守ってくれました。
何とかいま一度元気になってもらわねばという気持ちで観音さまの所へ参りました。
そこは広くもなく狭くもないごく普通のお寺でした。
境内に入り本堂へ(戸は閉まっておりました)と進みました。お賽銭箱の前にしゃがみこみ、お賽銭をお供えして生まれて初めて合掌したのです。
どなたもおられる気配がなくどのようにお参りして良いのやら全くわからず、ただ夢中で〈父を助けて下さいませ、元気で退院させて頂けますように〉と観音さまにお願いしておりますと、コトコトと本堂の横より音がして小柄な歳の頃70歳くらいのお婆ちゃんが出てこられました。
「私は長年ここの観音さまにお仕えしている者じゃ、あんたが一心にお願いしている人は男の人かね・・・・」と申されるのです。
〈無言でお願いしておりますのに何で分かるのかな〉と思いながらも、「ええそうです父です。」と答えました。
お婆さん合掌して目を閉じて、「うーん、この男の人の病は重い、なかなか普通の拝み方ではいかん。残念じゃけれどあすはお正月で観音講の方々がお参りに来られる。それで掃除もせねばいかんしきれいにおまつりもしなければいかんし、残念じゃ。明日がお正月でなかったら夜を徹して拝んでみてあげれるのに。あんたが講中に入っておられる方やったらなんとでも出来たが、残念じゃ。うぅ~ん、はっ〜、あなたのお父さん1月の5日午前零時1分まで命が持ったら助かるよ。しっかりお参りしていきなさい。」とおっしゃって下さって、本堂の横奥へと帰っていかれました。
しっかり拝みなさいと言って頂けてもどのように拝んだら良いのか(お経のおの字も知らず)わからずいま一度合掌して父のことをお頼みして帰りました。
観音さまとお別れし車に乗って帰りかけだしましたら無性に、父はもう駄目だ、死ぬるんだなー、助からんのや〜、と感じて涙がボロボロ出て止まらず、何処を通って病院へ帰ったか記憶が定かでありませんでした。病院へ帰ってもお寺のことは母にも誰にも話しませんでした。
お正月2日目の午前10時頃、父にお経の本を買って来てくれんかと頼まれましたが、私には何処へ行ったら売っているのか、又何というお経の本を買ったら良いのか全く分かりませんでしたので、父に尋ねましたら父も分からないらしくもういいよと眠ってしまいました。
いま思えばいくらでもあります。私の家はその頃浄土真宗でしたので本当はお経はいらず、ただ一心に南無阿弥陀如来様(南無阿弥陀仏)六字の御名號をお唱えさせて頂いたら良かったのですが、世間でよく言われる“門徒もの知らず”でいざとなった時、六字の御名號をお唱えさせて頂けないのです。
本当に短い六文字でお助け頂けますのに常日頃よりお唱えさせて頂けますれば親鸞上人様のように90歳も生かせて頂けたかも知りません。
やはり父は1月4日午前中に亡くなってしまいました。 (65歳でした)
父は死後多くの知人の方より「仏様のような人じゃった、偉い人だったのに何でこんなに早くに亡ならないといけないんかね・・・・、仕事も退職してゆっくりした老後をしたかっただろうに」と申して下さいました。
私もその当時何でもう少し長生きさせて頂けなかったんだろうかと悲しみました。
ですが父のお陰で阿弥陀如来様とのご縁が賜れ、その後(父の死後四十九日間、朝昼晩とお寺さんに教えて頂いたお経とお念仏を一心にお唱えさせて頂きました。)信仰者の方々と次々にご縁を頂けるよになり、いつの間にやら僧侶にならせて頂きました。
しかし、いまだ十分なる悟りにも、また仏徳の向上、修法の高徳にも至れず仏様、親、世間の人々そして御同行の方々にご迷惑をお掛け致しております。
観音さまより帰りの車中にてなぜか、今にきっと“自分と同じ境遇の人にご縁があったなら、修行してもっと別の方法にて無信心者にも仏様の奥深い尊いお救いの奇跡の手立てをお伝えさせてあげれるようになろう”と心に深く念じました。。。
合掌
私の家は母と私の2人家族です。(父はすでに他界しております)
親・子供・孫と一家三代続いて親が順送りに死んでいけるのが幸せな家庭だと仏様が申されますが、子供が結婚できぬ前に親が世を去っていくのはあまり幸せとは言えません。
私の家庭のような方を未然に防がせて頂くことが長い間の私の願いでありました。
昭和50年頃、わたしが仏様よりお伺いをさせて頂けるようになってまだ間もない時の話です。
ある日御本尊様に、今私の知人・友人の中でこの不幸が今のままの暮らしでは逃れられないお方がおりましたら教えて下さいませとお願いしますと
『おるぞ。 お前の母親の知人の(私もよく知っているお方)、近所に住んでおるT家の所へもう少しすると家の大黒柱が倒れる不運が迫ってきておる。そこへ行って自分の家でしっかりお参りするように伝えよ。』とのお言葉を頂きました。
Tさん宅はご両親と2人の息子さんがいる4人家族です。長男さんは28歳、弟さんは25歳で、いつお嫁さんを貰ってもおかしくない年ごろの息子さんたちでした。
早速に私はTさん宅をお訪ねし、奥さんに (以後Mさん)御本尊様よりの有り難いお救いのお言葉をお話させて頂きましたが、奥さんビックリした様子にて私を全く信じてもらえませんでした。
(それもそうです、つい先日までは息子のように可愛がってもらっていたのですから)
「あなたのお話とても信じきれません。少し前は辛いこともありましたが、お陰さまで今はとても幸せです。
主人は少し心臓が悪く薬を飲んでおりますが、数ヵ月で倒れるなんて考えられないほど元気ですし、毎日あるお寺と境内におわします有名なお地蔵様へ主人の健康と長寿をお願いに参っております。
このお地蔵様はとってもあらたかな仏様との評判です。
それに私も内職が多く忙しい身ですので家で長々とお参りすることは出来ません。
(台所の隅の棚に光不動明王様の御影(おみえ)と何体かの仏様・神様をおまつりされ、短いお経のお唱えは毎日なさっておられました)」と申されるのです。
御本尊様に奥さんの申したことをお伝えし、どうしたらよいのかをお伺いしました。
御本尊様は、『Mに申せ、幸せ過ぎると言うなら過ぎた分をどなたか知人の不運な方にでも分けてあげたらよいではないか。善行にはきっと幸せが貰えるものじゃ。』と、 お答えがありました。
Mさんにお話しますと、そんな知人は知りませんし又自分は人様の運命などお祈りできる力はありませんと申されるのです。
そこで私は「Mさんはお隣に住んでおられるYさんと仲良しですが、Yさんは持病があり苦しんでおられます。このYさんに過ぎた福運を分けてあげたらいかがですか?」と申しましたら、
Mさん申すに、「私にはそのような仏力が無いので無理ですし、また時間もありません。今のままで上等ですのでお帰りくださいませ。」と、丁寧に断られました。
その後、私が家を留守にしていた時にMさんが私の母を訪ねて来られ、「息子さんがいましがた自分の家に来て色々と我が家のことに関する事を言われました。あんな変なことを言って廻っておったら世間の人から何と思われるかも知れん、私の家だったからいいようなものを・・・・」と、注意しに来られたそうでした。
なかなか判ってもらえません。私に霊視能力がありもっと具体的に説得させて頂くことが出来たならば、Mさんも私の説得に応じて下さって、ご家庭の幸せが保たれたに違いありません。
そのことを思うと自分自身の未熟さに情けなくなってしまいました。
御本尊様はそういう私に対して、 『ただ一心にすがって来る者のみ救わして頂くのじゃ。自分から先方にノコノコ出て行ってお節介をするな。お節介する事が返って仇になり、先方も自分自身も幸せになれないのじゃ。じっと修法に専念してバタバタ動き廻るな。』と、おっしゃって頂けたのですが・・・・
未熟者ゆえか、頼まれもしないのにすぐお節介をやいてしまうことが多いのです。
Mさんのご主人はその2〜3ヵ月後頃に、明け方の4時頃、突然脳内出血の発作が起こり、その日のうちに亡くなられたのです。
日頃から心臓が悪かったので心臓の発作と思い手当てをされている最中に頭を動かされたそうです。
(後で聞いた話ですが、頭を動かしたのが致命傷となったそうです。)非常にお気の毒ではありますが、大黒柱が倒れるぞとの仏様からの予言通りになってしまいました。
ご主人の脳内出血の発作が起こる2時間ほど前にお隣のYさんが夢の中でお地蔵様の首から上がポロりと折れて地面に落ちる光景を見られて、普段より神経質なお方ゆえ、ご主人をすぐ起こされ親戚一同に電話を掛けてもらい何事もなかったのを確かめた後、安心してぐっすり休まれたそうです。
真夜中のこと故、二度寝したばかりなので、ぐっすり眠りに落ち入り隣のMさんが“お父さんしっかりして!”という悲鳴が聞こえず救急車が来るまで気付かれなかったのです。
けれども不思議な事があるものですね、MさんがYさんに福運を分けてあげる力がないと辞退されたのが現われたのでしょうか・・・・。
これは私の私見ですが、Yさんは、Mさんが毎日お地蔵様にご主人のことを頼んでおられた事を仲良しだったので知っておったのです。
この夢をYさんが何日か前に見ておられたなら、必ずその事をMさんに話されていたはずです。
Mさんが、もし前日に聞いておられたならばご主人の発作に対して違った対処をされ、ひょっとしたら命を落とさずにすんだかも知れません。
世間でも宝くじが当たって持ち慣れない大金が入ってきたばかりに兄弟どうしで分ける分けないの争いから殺人に至った話をテレビで聞いたことがあります。
宝くじに当たらなかったならば、このような結果にならなかったでしょうに。自らに過ぎたる福運が入ったが為に不幸になってしまったのです。
世の皆様方、自らの福運度を常日頃よりしっかり認識していて下さいませ、そして過ぎたる福運が貯まった場合、善根功徳を積まれて自らの福運度を大きく高めると共に、それでも過ぎたる福運がありますなら縁者・知人・友人・世間の不幸な方に、さらには仏様や神様にもお裾分けして下さいませ。
きっときっと、目には見えない徳分を頂けることでしょう。
人は生れ乍らにして前世の業障を背負っており、その大小によってそれぞれの福運度が定まるのです。
福運度は皆様方の常日頃の努力によって(または行いによって)変えることが出来ます。
皆様も幸福な家庭を望んでおられるならば仏様より徳分を頂き福運度を高めるよう徳を積んで下さいませ。
合掌
以前、里の母親のことで私にお救いを求めに来られたお方がおられました。
お話によると、私の父と同じ肝硬変にてお腹が膨らみ苦しんでおられました。
お医者さんからは助かる見込みが無いのであとは苦しまないように治療させて頂くのみですと申されていたそうです。
何とかして母を助けて下さいとのお頼みがあり、仏様に御祈念させて頂きますと、
『助けてやってもよい、ただし条件があるぞ。それは退院出来た母親を引き取り、若いうちから嫁にきて母親に親孝行をしなかった分これから十分親孝行をすることじゃ。そして親孝行が出来るよう、母の延命のために心よりワシに慈悲を請うことじゃ。できるかな?これを約束するなら必ず奇跡を起こしてやるぞ。』
とのお言葉でしたが、命(奇跡)との引き替えの条件、当人様にはなかなか難しく、親を引き取ることはようしませんとのことでした。
お母さんはそれでもお陰を頂いたのか苦しまれずに楽に亡くなっていかれたそうです。
合掌
私の母が急性白内障を患い、掛かり付けの眼科医に、「よくもって後2年、早ければ1年半ほどで水晶体の濁りがひどくなって、目が見えなくなるでしょう。」と言われたと、涙ながらに帰って来て話すのです。
私も母の目が見えなくなると困りますし、母もどれほど辛いだろうと思い、真剣に考えました。
医学でだめなものならば、仏様におすがりさせて頂く他はないと考えました。
目が見えなくなるという、生きながらに死んだと同じくらいの大難だ・・・
並みのお願いの方法ではお聞き届け下さらないだろう。・・・と数日思案しました。
この年、この時点の医学では白内障は手術出来る状態でした。
濁った水晶体を除き水晶体の代りに分厚いレンズのメガネをかけると視力は回復して、100%健康眼には戻りませんが、普通の生活をするには支障なく、不自由といえばメガネを外すとほとんど見えなくなり、少し困るという状態でした。
しかし、私の母は数年前に子宮筋腫の手術をした際に輸血したために重度の肝炎を患い、父の献身的な看護で退院できましたが慢性肝炎となって残っておりました。
それで母の肝臓は、手術の際の薬害に耐えられない状態になっていました。
無理をして手術をすると、失明は免れても肝臓の病で死ぬ確立が高くなり、主治医に目は見えなくなっても命がある方がいいでしょうと言われていたのです。
いろいろと考えていましたら、3ヶ月ほど前に、隣の市で御祈念お払いをしている年配の行者さんの事を思い出しました。
その行者さんの奥さんが眼病を患って困った時に、ある滝にいって滝行しながら、仏様に「3ヶ月間好きなタバコを断ちますので家内の病を救って下さい」、と一心にお祈りして、有り難いお陰を頂いたことを聞いたのを思い出したのです。
《そうだ、私もタバコを3ヶ月断っておすがりしよう。》と考えました。酒もどうかと思いましたが、情けなくもタバコだけにしました。 (この頃はまだ在家の信仰者でしたので酒タバコは断っておりませんでした。)
南無大日大聖光不動明王様にお願いに行きました。
「御本尊様、私の母は急性白内障を患っております。後1年半か2年ほどで、水晶体が濁って、物が白くかすんで見えなくなる病で苦しんでおります。今日までの暮らしの中で悪業を行った報いでしょうが、何卒お情けを賜りまして、母を失明からお救い下さいませ。真心としてタバコを吸うのを3ヶ月止めますので、どうぞお助け下さいませ」とお願掛けしました。
お願掛けした日より、必死でタバコを辛抱しました。飲屋で口にくわえたりしましたが、決して火はつけませんでした。
お陰を頂いて、母は「白内障の進行が止まったようですね。」とお医者さんに言ってもらえたと、大変喜んで私に話してくれました。
母本人も目の症状が進んでいないように感じるといい、約束の3ヶ月が過ぎました。
御本尊様光不動明王様にお願解きの御礼参りに行きました。
服のポケットにはタバコを一箱入れて行き、お願を解かして頂けたら、早速一服しようと準備して参りました。
御本尊様に、お陰様で母の目をお救い下さいまして有り難うございます、と心から御礼申し上げて、実に些少であったでしょうが、お礼をお供えさせて頂きました。
自分なりにお願を解かせて頂いて帰らせて頂こうと、入口のガラス戸を開けて外の靴に片足入れた瞬間、
『ちょっと待て。』と聞こえたのです。
えーっ。とびっくりしました。後ろに振り向き、「御本尊様ですか。」と申しますと、『そうじゃあー』と声が聞こえて来ました。
御堂内は本間の六畳位の広さで、私の他には誰もいない事はすぐにわかります。
やはり御本尊様しか居られないので、大きな御厨子の前に座りまして、「何でございましょうか?」と尋ねましたら、『母の恩はもっと尊い』との御声が聞こえました。
すぐには返答できなくて、暫しどの様に考えたらよいか思案しました。
〈そうだ、3ヶ月間タバコを止められたのだから、母親がこの世に生きとし生かせて頂ける間はタバコを吸いません。どうか母が失明しないように御助け下さいませ。〉と申し上げてみようと思い、御本尊様に申し上げますと、『それがよい。』との御言葉が頂けました。
「有り難うございます。有り難うございます」と御礼を申し上げましたが、後は、一言も御言葉は頂けませんでした。
何と尊い御本尊様に御縁を頂けた事かと、有り難く有り難く思いました。以後タバコを吸わない事で、どれだけ有り難い御得を頂けたかわかりません。
お釈迦様の残された御経の中に、「酒については毒にもなり薬にもなる。」とおっしゃっておられますが、タバコ等には一言も触れてはおられません。
毒ばかりになって一益にもならい事柄には、無言にて対処されておられます。
南無大日大聖光不動明様は、『タバコを吸う僧侶は真の僧侶とはいえない。』と申されます。
私もこの時には、先で僧侶となってゆくとは夢にも思っていなかったのですが、御本尊様には私が僧侶に進む事がわかっておられたのかと思わざるを得ません。
タバコを吸わないことで、吸う際の煙が他人に迷惑をかけはしないかとか、うっかりした火の不始末での災難の心配もなく、タバコを切らしてイライラすることもないし、お金もかからず、仏道修業の妨げにもなりません。
僧衣をまとい、くわえタバコをしている様では、お釈迦様に誠に申し訳ない事ではないでしょうか。
またお釈迦様に対して申し訳ないことは、タバコ以外でも沢山あります。
当の私も他の事では情けないことですが、申し訳ない事柄をしている様に思っております。
母はこの後少しずつ白内障が進み、18年後に手術しなくては見づらくなりましたが、 お陰様で手術しなければならなくなる数年前に、慢性肝炎を救って頂いて肝臓が手術に耐えられる状態になっておりました。
その上に、科学医学が進歩したために、手術後に分厚いレンズのメガネをかけなくてもよくなっていました。
眼内レンズを入れて頂けて、メガネをかけなくても普通に生活ができるようになりました。
眼病の苦しみより完全に解放して頂けて、本当に幸せに暮らさせて頂いております。
光不動明様(仏様)は、私どもが何処にいて、何をしているか総て知っておられるのだと思います。
本当に有り難いことですが、タバコを止め通しているだけで、20年もの歳月の間、キッチリとお救い下さっているのですから。
皆様の人生にも参考にして下さいませ。
合掌
私がまだ髪を伸ばし白衣姿にて修業しておりました時の話です。(翌年僧侶になる)
7月の終わり頃、四国88ヶ所霊場第27番さんのお大師堂にて私は経本を開き、無言で拝んでおりました。
そこへ三人組の山伏姿に近いような修業者さん達が登って来て、ご本堂でお参りを始めました。
大きな声で気合いをかけ てお参りされるので、内心やかましいなと思っておりましたら、先達の50才位のお方が突然お参りをやめて大師堂の方へつかつかと寄って来られました。
あとの二人はご本堂で必死に拝んでおられます。〈何事かあったのかな?〉と思っておりますと、その先達さん私のすぐ側まで来られて、「若い方、しっかり腹から大声を出してお参りせんと悪霊や畜生霊、または良からぬものに取り憑かれるぞ!」と、注意して下さいました。
しかしどうも納得がいかずお大師様にお伺い致しました。
お答えには、『その行者に申してみよ、それでは無言でおまいりしたらダメなのか?世の中には、声を出したくとも声を出せない境遇の人は皆お参りすると、悪魔憑きか?・・・・・ 大声を出さねば、おかげが頂けないのか尋ねてみよ。今も昔もオシ(声が出せない)の人や耳の聞こえない人が大声を出せずとも一心におまいりされて大変有り難いおかげを頂いて、ものが言えるようになったり、耳が聞こえるようになったり、有り難い話が沢山あるがどうじゃ?』との、お言葉がありました。
私はそのお言葉をそっくり行者さんにお伝えしたところ、先達さんは腕を組んでふう~む・・・・と、なにやら考え始めてて、“うん、判った、そうじゃそうじゃ”と、ひとりごとを言いながらご本堂の方へ戻って行かれました。
ご本堂でのお参りがその後随分静かになりました。この先達さんも私を通じてお大師様にありがたいお導きを賜れたのです。私も大変有り難い体験ならびに勉強をさせて頂きました。
ところで話は変わりますが、大勢の人々と大衆読経の際は人に負けないような声を出さねば周りの人々に大変迷惑になりますので、この場合は皆さんと同じ位の声でお唱えして下さいよ。
不幸にも入院せねばならなくなった折りなど、病室でお祈りされたい時は無言にて心の声にて拝んでください。
誠に尊いお経の声も時と場合には周りの人にイヤな思いをさすことがあります。
合掌
お四国第二十七番神峯寺大師堂にて、昭和53年頃の話です。
この日も私一人にての修業の折りでした。
少し小雨が降っており、大師堂の上の方に登りお賽銭箱の横で立ってお参りさせて頂いておりましたらお四国さんの先達姿の50過ぎ位の男性が大師堂へお参りに来られました。
ローソク、線香とお供えされ、お賽銭箱の前に両足少しばかり開いてしっかり立ち、二つほど持っておられた袋のひとつより、おふま(お米)ともう一方の袋よりバラ銭を一握りして、まるで畑に種や肥料を播くようにお賽銭箱へ、お大師様に対して”ほらやるぞ”と言わんばかりにばらばらと振り播いたのです。
立派な先達の姿をしているくせにどんな気持ちでお供えしているのだろうかと心の中で思った時、お大師様のお声が聞こえてまいり、『今賽銭を供えたものに申せ。ワシに賽銭をそらやるぞとくれに来るならもう来ないほうが良いぞ、何の功徳もやらない。又、功徳を求めに来ているならば必ずや”さとす”ぞ。』とのお言葉がありました。
そっくり先達さんに、「誠に私のような未熟者が申すには失礼ですが、今お大師様よりお導きがありましたのでお伝えします」と、お言葉の内容を話しました。
その話を聞いて不思議そうに私をじろじろ見つめながら、「本当にそうじゃなぁー。今まで気がつかなんだ。他の先達さんもされているのでこれで良いのだと思いやっておった。いや、今日は有り難い。どうもどうも。」と言ってから、一心に静かにお参りされて帰って行かれました。
人の意見を素直に聞き入れるこのようなお方はかなり”行”が向上なさっております。しかしながら一部には、”この若僧、生意気に何を言うか”というような目で見返して、残念ながら少しも改善されない方もおられます。
お賽銭のお供えも三密行の一つです。
”三密具足のときいたりついには佛果をしょうすべき”(ご利益や悟りを頂ける)に一密欠けても至れません。
御本尊さま、お大師さまのお賽銭箱をただの物入れと思ってはなりません。ご本尊さまやお大師さまの”御手”だと思えば、乱暴な粗末なお供えの仕方は出来なくなります。
お寺や神社にてのお賽銭は坊さんや神官さんが使用するのだから、いいではないかと申されて投げたりする人もいますが、せっかくのお供えもそれでは人に供えたことになり仏様や神様にお供えしたことにならず、お救いお導きのご縁を頂くことは出来ません。
お互い投げ銭・播き銭には気をつけましょう。
合掌
ある日私のいとこから電話があり、「今、B子さんという人とスナックに一緒に来ている、お見合いと堅苦しく思わずに、飲みに来てみんかね。」と、見合いを勧められました。
このときの私はまだ修行を始めてそれ程経ってなく、結婚できるところまでに至っておらず、またまだ酒を嗜んでいた頃で、勧められるままにスナックに行ってみました。
本当にかわいらしい女性が、いとこのそばに座っていました。これがB子さんでした。
いとこからお互いのことを紹介され、それぞれ現在の状況を少し話しました。
B子さんは、今まで男性と親しく付き合ったことがなく、いつも女友達と一緒とのことでした。
また、ホテルで受付や喫茶などフロント周りの仕事をしているということでした。
家族は父親と早く死に別れ、母親が田舎で一人暮らしをしているとのことでした。
本当にかわいらしい素直な女性でしたが、私はまだまだ修行の身、駆け出しの身でしたので、B子さんの幸福をお祈りさせていただくことしかできず、仏様(このときの御本尊様は南無高祖弘法大師様)に、「B子さんが幸福にさせていただくには、どのようにしたらよいのでしょうか?」と、お伺いしてみました。
スナックでしたが、有り難いことにお答えを頂きました。
『(B子さんに)尋ねてみよ。父親と母親に対してどのような感謝の行為・親孝行をしておるか。』
B子さんに伝えますと、「父親には死んでいるので何もしていません、母親には私の頂く給料の中からほんの僅かですが、小遣い程度の金額を仕送りしています。」とのことでした。
お大師様よりお言葉があり『(B子さんに)毎月1回3か月、頭を剃(そ)っておるお坊さんのところに行って父親の供養を頼んでみよ。3か月行ってB子さんが心に念じておる幸福が得られなかったら、「私(お大師様)は信仰をやめる。」と申せ。』とお言葉がありました。
お言葉通りB子さんに伝えました。私は心配もしましたが、仏様のお言葉は絶対だと信じておりました。
また、B子さんは「胸一面に小さなぶつぶつが出ています。お医者にさんにかかっておりますが、”ひょっとしたらとても厄介な病気になる。”と言われています。」と不安そうでしたが、
『その病も3か月じゃあ』と、お言葉がありました。
B子さんは、「私は信仰のことは何も知りません。お寺にお参りに行ったこともないですし、お寺さんと御縁もありません。どこのお寺に行ったらいいのでしょうか?。お布施はどのくらい持っていったらいいのでしょうか?」 と尋ねられましたので、B子さんの職場からバスで25分ぐらいの所にあるお寺を紹介しました。
「お布施はお寺に行ってお坊さんに尋ねてみてください。今の生活を包み隠さず正直に話してください。このお寺のお坊さんは頭を剃(そ)っておる人だから、あなたの生活に困らない範囲で拝んでくださるはずです。」と伝えました。
私はいとこと一緒にお酒を飲み早く帰りました。
家に帰ると、「3か月で必ず幸福になれる。」と断言したことが少し心配になりました。
それから4か月経った頃、いとこに会い、B子さんがその後どうしているのか尋ねてみましたら、「不思議なことがあるものじゃねえ。1月半くらい経った頃、B子さんがいつも一緒に行動していた仲の良い女の友達と、大げんかをして別々に行動しだしたら、同じホテルに勤めるフロントの男性と付き合いはじめ、3か月目にこの男性と結婚することになった。男性は関東地方出身だったので男性の故郷で暮らすことになって、2人で行った。」 と聞かされました。
大変驚きました。またB子さんの胸のぶつぶつも仏様のお言葉通り良くなったと聞きました。
いとこと2人で、「不思議なことがあるねぇ。」と話し合いました。
心の中で【仏様(お大師様)はすごい。】と感激しておりました。
1年後、風の便りにB子さんが男の子を出産されたと聞きました。
私にも 【B子さんなら必ずおかげをいただける。】と確信することがあったのです。
スナックでの仏様のお言葉をお伝えしたとき、お大師様からの『(B子さんの)父親に心の世界では何も親孝行ができていないではないか。父親とは早くに死に別れたそうだが、霊界に帰っていた父親の幸福のためにお金を使ったことがあるか』とのお言葉に、B子さんは涙をポロポロ流して泣き出しました。
この姿を見て確信しました。B子さんは自立して生活していますので、あまり余裕はないでしょうにお母さんに仕送りされ、その上少ない小遣いをバス代・お布施に使い、少ししかお金が残らないのに、父親の幸福のためにお寺参りをされました。
本当に心根の良い優しい女性でした。仏さまのお言葉を信じて実行してくるものは、 仏さまは決して見捨てなかったのです。
初回のお寺お参りされた日にB子さんから電話を頂きました。
「お寺に行ってお坊様にお願いの件と自分の生活のことをお話ししましたら、「お布施は普通の人の三分の一で良い。」と言っていただきました。母が少し胃の調子が良くなかったことをお話しておりましたら、「お母さんに送ってあげなさい。」とお守り札まで頂きました。」という話を聞きまして、仏さまはいよいよ人の心をおためしになりますが、心一帰信にておすがりさせていただけると、本当に偉大なるお力・御加護を賜ることができますことを、改めて確信しました。
B子さんは1ヶ月目は出費が増えお小遣いが少なくなりましたが、2ヶ月目からは男性(今の御主人)と付き合うようになって、デート費用を男性が払ってくれるようになり、お金の心配がなくなったのです。
有り難いことですね。 仏さまは人の心を試します。
合掌
一月の大寒行の折、車で一番さんより巡拝させて頂きまして、夕方十二番焼山寺さんへと、この日最終のお寺さんとなりました。
たっぷり雪が積もっており、かなり高い処の山寺なので寒さも身に染みておりました。
御本尊虚空蔵菩薩様にお参りして、御大師堂へと進みました。
ローソク線香をお供えして三礼し、納め札や賽銭の前に「お大師様、厳しいお修行お願いします。」 と、めったに言ったことはなかったのに、厳寒のためか夕方十二番さんにお参りするお遍路さんもなく静寂のせいか、何気なく言ってしまいました。すると不思議にもお大師様よりお言葉がありました。
『このままお参りすることはいかん。』とおっしゃいます。何とした事でしょうか。どうしてなのだろうと暫し思案しましたが、お言葉の意味が判らず、「お大師様、どうしてでしょ う。」と申し上げますと、『十善戒を唱えてみよ。』とのことです。
ゆっくりと 十善戒をお唱えさせて頂き、不慳貪(もの惜しみするな)とお唱えしますと、 『この戒に抵触している。』とのことです。「お大師様、今日一日中ですか、このお寺にてですか。」とお伺いしますと、『この寺に入ってからだ。』ということです。
このお寺に入って何が”もの惜しみするな”という戒に抵触するのだろうと、暫し考えてみました。寒さで手がかじかんできました。耳もしびれてきました。山門より入りお大師様のお言葉を頂くまでの行動を、一心に思い出してみました。
<あっ、このことだろうか。>と思い当たることがありました。というのは自前の線香が切れてしまったので、御本堂でお線香をお供えさせて頂くのにお寺のお線香を買おうと見ますと、金額が書いてありません。
自分で値踏みして、30円で買わせて頂きました。御大師堂でもお寺のお線香を分けて頂こうと見ますと、一束10円と書いてあります。「ありゃあしまった。本堂では30円で買ったのに。」と思いつつ、10円で分けて頂きお供えしました。
このことがいけなかったのかなと思い、お大師様に申し上げましたら、『そうじゃあ。本堂にて30円で買えた線香が、わしの処では何故30円で買えなかったのだ。20円、もの惜しみしたではないか。線香では20円と少ないかもしれないが、この心持ちが大きなもの惜しみを招き、不幸を自分で呼びこむことになる。』とのお教えを頂けました。
真にその通りです。何と有り難いことでしょう。寒さも手伝って、心に浸みました。
お大師様ありがとうございます、ありがとうございますと、心より感謝を申し上げました。
このお修行を地で行く不幸を、恥ずかしいことですが、私の母が自分から招き込み、死にたいと漏らすほど苦しんだ事が後年ありました。 次回に書かせて頂きます。
合掌
ある時、私の家に雨漏りする所があり、それの改善と共に改築をした折のことです。
大工さんの車、各種工事屋さんの車、建築資材屋さんの車と多くの車が来ます。
すぐお隣の方が借りておられる駐車場が仕事に出られている昼間は空いているので、車を置かせて頂いておりました。
数ヶ月の間には、当寺の信者さんやご芳情者の皆様よりお送り頂いた珍しい物を、何回かほんの少しですがお裾分けさせて頂いておりました。
おかげさまで無事完成しましたが、その寸前で私が四国巡拝に出なければならなかったので、母にお隣さんに一万円を「真に些少ですが。」と言って持って行くようにと申して出発しました。
無事、四国巡拝から戻り家に入ろうとした時、お隣の御主人に出会いました。
夕暮れ時で少し薄暗くなっていましたが、まだ出会う人の顔が分からない程ではありませんでしたのに、何故か顔を背けて通って行かれようとします。
誠に立派な方なのに、普段ですと私のような者にも遠くからでも挨拶の言葉をおっしゃって下さる方なのにどうしたのだろうと、早足で家に入り、母にきちんとお隣さんに一万円を持って行ったか尋ねました。
一万円という金額は御本尊大日如来様のお告げにて伝えたのです。
母は何故かもじもじしております。重ねて問いかけますと母は、
「お前が一万円持って行けと言ったが、考えてみなさい。お隣さんに昼間が空っぽになっている処へ、置かせてもらっていたのよ。そして時々色々な物を持って行ったではないか。あんまり気を遣ってもいかんので、スーパーで2,000円のハムを売っていたので、それを1本持っていったのよ。」と言うのです。
いやはやあきれました。私は母より社会常識教育を受けているのですが、正道よりずれていたのです。
仏様の親様にお導き頂けだして、根本より教育のし直しをして頂いて、10年の歳月が経っておりましたのであきれたのです。
仏様より霊示頂いて母に懇々と説きましたら、やっと後5,000円を持って行くことで納得して、母はお隣さんへ持って行きました。
しかし、この金額でも御本尊様のお知らせとは5,000円も違います。
この結果が後日、母と年齢が近い町内の井戸端会議仲間の皆さんにそっぽを向かれることとなったのです。
お隣さんは少し離れた所にお母さんが住んでおられて、毎日息子さんのお家に色々と手伝いに通って来られていました。
どのような事情でそっぽを向かれるようになったのかは分かりませんが、母がもの惜しみしたことが原因なのですから致し方がないのです。
その日より毎日毎日、母は外へ出て帰ってきますと、涙を目にいっぱいためて泣き言を並べるという日々が始まりました。
辛くて夜もぐっすり眠れず、お医者さんにもらった安定剤を飲んで休むということになりました。
それでも眠れぬほど辛い日があり、とうとう県外の老人ホームへ行くと尋ね回るような状態まで進展していきました。
この頃よりお供え物をする時に少しへんてこなお供えの仕方を始めましたが、私は母が脳障害を受けだしていることにはっきりとは気がつきませんでした。
それで四国霊場五十一番さんの前にアパートを借りて、お修行して下さっておりました同行さんの所へ1ヶ月入れて頂きました。
毎日皆様と共にお大師様に、朝3時起床修法、8時修法、午後3時修法。
夕方は道後温泉に皆さんと入浴させて頂き、食事は一日二回で完全精進にて修行されているところに同行させて頂いたのです。
この災難は有り難いお大師様のお陰を賜ることができまして、母は立ち直らせて頂きました。
帰ってきますと町内の皆様の母に対する態度が、大分変わっておりました。何と有り難いことでしょう。しかしたった5,000円のことで、母は脳障害を受け、老人ホームを尋ね回らねばならぬほどの実に辛い悲しい事態を自分より招いたのです。
因果は巡ると申します。何事も原因をつくらぬ事には起こりません。この原因が曲者です。
私の母もそうですが、世の皆様方の中にも、社会一般の常識又は天道からずれている事に気がつかないで、自己の考え方で充分だと思って暮らしていて、
《どうして世の中こんなにうまいこといかないのだろう、どうしてこんなに不幸せなんだろう》と悩んでおられる方々が多くおられます。
どうか皆様方もお気を付け下さいませ。
合掌
大地山 教生寺