教導体験談
教生寺のはじまりは、師・教生の深い信仰体験なくして語れません。
その歩みの一端を、ぜひご覧下さいませ。
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※お話は随時追加いたします。
教生寺のはじまりは、師・教生の深い信仰体験なくして語れません。
その歩みの一端を、ぜひご覧下さいませ。
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香川県の東部の町に住む当時六十八歳の女性(○さん)と近所の知人(Kさん) と私の三人でお四国を順拝した時のお話です。
香川県の東部の町に住む当時六十八歳の女性(○さん)と近所の知人(Kさん) と私の三人でお四国を順拝した時のお話です。
○さん出発前に「私は長年腰痛を患って今でも時々接骨院へ通って電気治療をしながらなんとか病をだましながら暮らしておりますが、あなた様のお四国は一回に全部廻るので腰痛の不安がありますが元気で無事順拝し終えることが出来るでしょうか?」と、光不動明王さまにお伺いして頂きたいとの事、
さっそくお伺いしたところ『元気に順拝できるぞ。』とのお答えでした。○さんはそれをきいてとても喜ばれ、我々は順拝の旅に出発しました。(○さんは近年お四国を何回かに分けて順拝されておられました。)
一番札所の霊山寺をふりだしに何事もなく六日間が過ぎ明日は六十番札所の横峯寺へ早朝よりお参りに行く予定になっておりました。
この夜は六十一番の香園寺の宿坊にお世話になりました。明日の準備をしていますと、○さんが「私、少し腰が痛みかけておる様なが、明朝になってみないと判らないけど、もしうんと腰が病んでいたら六十番さん考えさせて頂くきにね・・・・・」との事でした。
さて、一夜明けて朝が来ました。腰はどうかなと心配してお部屋へ尋ねてみますと、○さん申されるに、昨夜より一段と腰が病んできておりこの状態で無理して横峯さんへお参りさせて頂いても途中でどんなことになるか判らないし、腰を悪くしてもつまらないので今日は遠慮させて頂きたいとの申し出でした。
私の一存では何とも申せませんので、光不動明王様にお伺いしてみますと『この女性には出発前に必ず元気で順拝出来ると申してある。この言葉を信じて出発せい。』とのお答えでした。
○さんにお伝えしますと、「自分の腰の状態は自分が一番良く知っておるのに、あなた様の御本尊様は無理難題を申されるがやね・・・・・こんな人とどうして来たろう、もうしょうがない、どんなに悪くなってこれから一生苦しんでも仕方ないわ。」と、捨て台詞をして車に乗りました。
途中顔をへちむけて一言も口を利かずに六十番横峯寺の徒歩順拝入り口の駐車場に着きました。(このころは今と違って道路が整備されておらず、全て歩いて登っておりました。)
裏参道の湯波みね口より入山しました。車から降りながら○さんは同行のKさんに私に聞こえないような小さな声で「もうダメや、私の腰は完全に悪うなってしまうよ。途中でちゃがまったらどうかよろしく頼むね。」と泣き言を言っておられました。
それを聞いて同行の女性は「もうここまで来てしもうたのに、今さらどうこういっても仕方ないきに、行けるところまででも行きなさい。なにかあったら教生さんが良い様にして下さるわね。」と、励まされておりました。
私も内心どうなることやらと案じておりましたが、御本尊様のおっしゃった事は絶対であり、きっと元気に参拝させて頂けるものと信じておりました。
いざ出発となるやいなや、我々は急坂の斜面に遭遇しました。自然石の下を水が流れており、狭い通り道を杖を頼りに登りだしました。後を返り見ると、ニ人ともおとなしく、特に○さんはむっつりして下を向いて本当に痛々しげについてこられました。
何かあっても分からないので、私が「“南無大師”と申すからあんた方二人は“遍照金剛”と唱えてついて来るように。」と頼みました。
山中へ響きわたるほどの大声で“南無大師〜”とお唱えすると、蚊の鳴く位の小さな声で二人が “遍照金剛〜”と唱えられるので、私は○さんに「そんな声ではいかん。○さん私が憎やろう。後からこんちくしょうと思う気持ちで大声で“遍照金剛” や、ええかよ」と言ってそれから“南無大師〜”とお唱えしました。今度は中くらいの声で“遍照金剛〜”と返ってきます。
まだ声が足りないので「もっと腹の底から大声で唱えてみよ・・・・ええか声が細いぞぉー!」と、怒鳴り散らさんばかりに勇気づけ、“南無大師~~~~”、“遍照金剛~~~~”“南無大師~~ ~~”“遍照金剛~~~~”、お二人とも、もうヤケクソと思わんばかりに、私の声に負けじと大声でお唱え始めました。
おリンの、”チリン、チリン”とお杖の鈴の音と、そして大声で響きわたる“南無大師〜””遍照金剛〜”に、下山中のお遍路さん方もニコニコと笑って通って行かれました。頑張って下さいとの声援に対してお疲れさまとのお礼、とてもありがたい順拝行になりました。
“南無大師〜””遍照金剛〜”の大声にていつの間にやら、あら不思議に何事もなく無事に横峯寺の山門へとたどり着けました。
後の二人に元気で来れましたね、良かった良かったと申し上げますと、○さんもKさんも「本当に坂道の苦しさも腰痛も忘れてしまって、す~っと登って来れました。いやいや、不思議なことじゃー。 ありがたい。」と、一心に合掌して山門をくぐりぬけたのです。
本堂でお参りして(各自別々に無言で拝む)、お大師堂にて私がお参りしておりますと○さんが来られ、「教生さん、誠に申し訳なき事を朝に申しましたが、なにとぞお許しくださいませ。佛様のありがたいご縁を賜ってお四国さんを順拝させて頂きましたのに自我をだして、若い教生さんの言う事をあなどり多言を申しました事、心よりお詫び申し上げます。光不動明王様にも何卒お詫びの気持ちをお伝え頂けますようにお願いします。ありがとうございました、ありがとうございました。」と、泣きの涙で顔中濡らしてお礼を申されました。いやいや不思議なことです。
その後○さんは無事にお四国を順拝し終わって後、腰痛から開放されたそうです。
○さんの場合、佛様は腰痛に至る原因を問われず真心の方をお問いなされたので す。
○さんはそのお問いに対して合格なされたので宿業を取り除けて下さったの でしょう。いやいや、ありがたい事でした。
私も登山し始めた時は内心不安でして、大声にて南無大師~~~遍照金剛~~~~と、お唱えました。一声、一声に真実を込めてお唱えしたのを覚えております。 私は毎日のお参りの際または修法の折り、このありがたい御宝号をお唱えさせて頂いておりますが、この時のような心情にはなかなかなっていないように思います。
いつでも横峯寺の登山順拝の時を思い出して、あの一心のこもった御宝号をお唱えすることが出来るようになりたいものです。
合掌
昭和五十八年の六月頃の事でした。
昭和五十八年の六月頃の事でした。
私のご近所にご夫婦してとっても働き屋の商売を営まれているお方がおりました。本当に無一文より一生懸命頑張られて中の上くらいの財産を築かれ、子供さんも立派に成人されそれぞれ家庭を持っておられました。 このご夫婦もそろそろ商売を子供さんたちに任し、これからの人生を二人で楽しく過ごしていこうと考えていた矢先の出来事です。
ご主人の体の調子が思わしくなく、病院で検診して頂いた所悪性のガンと診断されたのです。食道ガンが喉頭ガンへと、そして肺へと転移しており、自ら食物が食べられなくなったのです。(食物が喉を通らなくなったのです)入院なされて五日目の日の午前中に奥さんが当寺にお見えになり、何とか主人を助けてもらえないものでしょうか、とのお願いでした。
その時点でのご主人は一切食物が喉を通らないので点滴と管を入れての両方よりの栄養補給の状態でした。一日中うつらうつらと眠っていて、手で胸のあたりをしょっちゅう痛い痛いとさすっておられるとの事でした。
早速に御本尊様にお伺い致したところ、お答えに『全治して退院出来るも、ダメにて亡くなるも三十日の勝負ぞ、よいな。しっかり頑張ってやるように。願いがかなうには条件がある。毎日三回当寺へお参りに来ることじゃ(病院は自宅より歩いて四~五分の所、又当寺はお宅より歩いて三十~四十秒の所です)。朝昼晩食事をしに家に帰る途中、百円ずつもって十五分間でよいからお願いに来るのじゃ。主人が入院中はどんなに自宅の仕事が忙しくとも絶対に手伝いをして商売をしてはいかん。(子供さんが一人で人を雇って仕事をしております)次に、主人が元気になって退院されたなら分割でもよいから百万円お礼奉納するのじゃ。 そして主人が仏教で救ってもらいたいと思うなら、毎日観音経上下を一心にお唱えするのじゃ。』との事でした。
奥さん申されるのに「第一の一日三回のお参りには来られます。第二の絶対に商売を手伝ってはいけないというのはなかなか難しいですが、子供に頼んで頑張ってみます。百万円も主人が元気に退院させて頂いたらありがたいことですが、主人に”自ら仏教で救ってもらいたいならお経をお唱えせよ”は無理です。 ほとんど体力が落ちて毎日うつらうつらと眠っている状態です。」とのご返事です。
御本尊様より、なんでもよい、とにかく観音経一巻(代金にして270円程度) 持って帰るようにとのお告げがあり、それを奥さんに伝えて経本をお渡ししました。 奥さんは不信げにお参りされて経本を持って帰られました。
翌朝のお参りの折り、奥さんより「不思議なことが起こりました。主人が胸をさすって痛い痛いと申しておりましたのが、昨夜よりちゃっくりやまりまして、ただうとうと眠るだけになりました。有難いことです。」と、言って下さいました。
私もそれは有難いお救いを頂けているのよ、しっかりお参りして下さいと奥さんを勇気づけました。 私は内心一日も早く元気になって下さればいいなと合掌いたしました。
そしてご主人の病気平癒を願い、当寺で一心に御祈念させて頂き、また近くにある薬師如来さまを御本尊にされているお四国さんのお寺へお参りに行きました(三ヶ寺)。
三日目の昼のお参りに奥さんが来られた折り、「誠に申し訳ないことですが、御本尊様とのお約束の商売の手伝いをしてはいけないを、ついうっかりして破ってしまいました。病院より帰ってみるとあまりにも店が忙しく子供が難儀していたので、お客さんに品物を売ってしまいました。どうしましょう」との事。「御本尊様によくお詫び申して、再び破ることのないように致しますのでと申し上げて下さい。」と伝えました。
その夕方のお参りの折り、奥さん観音経一巻戻しに来られたのです。奥さん申すには「御本尊様のお言葉ですが主人は三日間うとうとと、眠るばかりです。病院に経本置いておくと粗末になるばかりですので、お返し致します。」との事でした。
私は奥さんに、佛具屋さんで買っても270円ですので、いたんでもいいから病院に置いていたらいかがですかと勧めましたが、お経がいるようになったら又お借りしますので、一度お返し致しますと置いて帰られました。
その翌日四日目の昼のお参りの時、奥さん物凄く嬉しそうなお顔で来られました。
「主人が今朝十時半すぎ急に元気が出てベットにどっかと起き上がりお腹が減ったので何か食物を持ってくるようにと申すのです。ビックリしましたが急いで先生にお伝えしましたら、 不思議なことやが、まあ本人の申すようにしてみようと言われ、おかゆを食べさせてみて下さいとの事にて主人に差し出してみたらしっかりと食べたのです(いやはや全く食道がふさがっていて食物が通らなくなっていた人です、奇跡です)。そして普段の元気の時のようにあれこれ注意もします。主人はこれで元気になっていくのでしょうか?」と、尋ねられました。
私は「どうでしょう、良くなって貰いたいものですが奥さん、先の御本尊様とのお約束通り観音経持って帰って、ご主人に自分の命を仏様に助けて頂きたいのならお唱えするように、それとも仏様に助けて頂かなくても良いと申されるならいたし方がない。まあ、とにかく持って帰って下さい。」と、申し上げましたが
奥さんなぜかお経はいいですと申されて持って行かれませんでした。私は心の中で御本尊様に助けて頂けないのでは、との不安が浮かんできましたが、いやいや今の元気になった様子ならきっと退院なさって帰って来られるだろうと思いました。
奥さん嬉しそうに五日目、六日目とお参りに来て下さいましたが、六日目の夕方のお参りに来られた時、「主人が夕方四時頃パンを食べていましたら喉が通りにくくなったと吐きました。その時血へども一緒に出て、元気がなくなってまいりました。どうしたらよいでしょうか?」と、奥さんは不安げに申されましたが、もう私にはどうしようも手立てが無いのです。
御本尊様との約束を奥さんは実行しなかったのですから。 御本尊様が奇跡をお示し下さってガンでもわが佛力にて救えるぞと、三日間食事を取らせて下さり、そしてお経をお唱え出来るほどの体力と思考力を回復して下さったのに、お心に反した行動をされたのでいたしかたないですね・・・・・と申し上げるしかありませんでした。
翌日より奥さんお参りに来られませんでした。このご主人さんは、やはり御本尊様の申された通り丸三十日目に亡くなられました。食道ガン、喉頭ガン、肺ガン等の場合最期はとても痛がり苦しまれ、家族の方でも十分に看病をしようにもせつなくてようしない方がいますよと、入院時に看護婦さんに言われていたそうです。
しかしこのご主人の場合、全くと言っていいほど苦しまれずに亡くなってい かれたという事がせめてものお救いだと思います(このご主人はなかなか気丈夫な方でしたので、少しは我慢なされたかも知れません。) 。
テレビで見ましたが(平成三年六月)、ある女優の父親が肺ガンでなくなったのを放映しておりました。病気の最期の方では“痛み薬”でだいぶ楽になられたそうですが、息がつまってくる苦しさにベットにしがみついて苦しまれたそうです。
その女優さんの姿が本当に家族も一緒に苦しまれたのだなと思うくらいやつれておられました。知人がお通夜に行った折り、かの女優さんがどの人か見分けがつきにくい程だったと語っておられました。
本題に戻りますが、三十日目の昼の三時すぎに眠りから覚めて起き上がり奥さんや子供さんたちと色々話をしてそれから眠るように亡くなったそうです。
私もこのお話を聞かせて頂きご主人に対しての申し訳なさが少しく和らげた気分になりました。
当寺の御本尊様はよその御祈禱者の所と違い、本人が仏様には助けてもらいたくない(仏教は信じない、嫌い)と言われる人は救われないのです。 私のお伺いがまちがっているのでしょうか・・・・?
よそ様の所では家族の方が頼んで来られたら病人には関係なく御祈念してお救いし、後日(全員とは行かないでしょうが)助けられた本人がそこの御祈禱所に一生入信したり、年々御奉謝の行を積まれたりということがありますが、当寺の御本尊様は違います。
今回のご主人さんもご自分で自らの命を、一時的にも生と死との判断が出来るよう元気にして下さったのですから・・・・。
後日奥さんからお供えがありました。 「主人がお陰さまで痛まず苦しまず安らかに死んでいけました、病院の方もビックリされておりました、ありがとうございます。」と申されました。
その折り、私は奥さんになぜご主人にお経のことや自らの命を自らで判断させてあげなかったのかと尋ねました。
ハッキリしたお答えは頂けませんでしたが、退院後の御奉納の百万円が引っ掛かっておられた様子で、とある新興宗教に入信している親しい女性に、この百万円のことについて色々とアドバイスをして貰っていたそうです。
(御本尊様はいつも何かの形でお願いに来た者に対してお試しをされ、その人の真心を試されるのです。百万円もそういう意味でのものでしたのに・・・・・ご主人を心より思っておられたならば、このような女性にそんな相談はしなかったでしょう)
私が思いますに、一生懸命若いときより無駄使いもせず本当にいつも穏やかそうにいやな顔もせずに働いておられたご主人、元気で長生きされたらかなりの年金を貰えたそうですのに(毎年の年金は百万円お供えしてもまだ余るくらいの額だったそうです。) 。
私が後日噂に聞いた話ですが、この奥さんのお店はしばらく(三~四年)繁盛が続きましたが親類の保証人になって数千万円の財産を失ってしまいました。
ご主人が生きておられたら防げた災難だったらしく、おんな一人の弱みにつけ込まれたのです。非常に残念でたまりません。
私のいたらなさ、力のなさそして未熟さに悩む日々です・・・・・。
合掌
私が信仰を初めて五年くらい経った時のお話です。
私が信仰を初めて五年くらい経った時のお話です。
このお爺さんは当時六十六歳の方でお四国のとあるお寺のすぐ近くで民宿をなさっておられました。
六月の始め頃その宿に泊めて頂いた際、お爺さんから「お修業さん、あなたは病気の御祈禱か霊感での仏様よりのお伺いを出来るかね?」と尋ねられました。
大した自信は有りませんでしたが、少しならとお答えすると、お爺さんは「そんなら私の右足の踝(くるぶし)のちょっと上だが痛うて痛うてたまらん。切って除けれるんなら除けたいくらいじゃが、さわりがあるじゃがろうか仏様に聞いてみてくれんかね?」と言われました。
御本尊様にお伺いしてみましたところ、お大師様が『その爺は三年前まではしきりに行っておったのにそれ以来ピッタリと一度も行かなくなった場所がこの近くにある。それが足の痛い原因じゃ』とのお答えがありました。
お爺さんにその旨を伝えるとモジモジしなが ら「それはお寺のことじゃろう、ちっくと自分ながらに思うことがあって本当に三年ぐらいになるがじゃろうが行っていない。行者さん、どのようにしたら良いか教えて下さい。」と真剣な眼差しで尋ねられました。
再びお大師様にお伺いしてみますと、『この爺の宿屋はお寺の御本尊様にお参りに来るお遍路さんの為の宿屋であって、お寺なくしてこの辺地の所までわざわざ止まりに来る者はまれにしかないぞ。』とのお答えでした。
引き続きおっしゃられるのには、『足の痛みを治したいと思うならば二十一日間お寺へお参りに行く様に。』とのお言葉でした。
お爺さん「それならしよいことよ、行ってみます。けれども行者さんお若いのに私が三年前からピッタリお寺へ行かんようなったがを言い当てるとは不思議な人よねー」と驚いた様子で話されました。
その夜、床の中で今日あった事を振り返り、これは自分の力ではなくお大師様が私にお力を貸して下さったのだ。あーもったいないと合掌して休みました。明朝早立ちして宿屋をあとにしました。
一ヵ月たった日の夕方六時三十分頃、お爺さんより突然電話を頂き、「行者さん、先日泊まって頂いた折り、お寺へ何日行けとの事じゃったぞね?」との問い合わせでした。
私が二十一日という事でしたと返事をするやいなや、ハイ有難うございますと言って電話を切られました。随分変わった爺さんだと思いましたが、それから七日後の夕方またお爺さんより電話がありました。
「行者さん、足が治った足が治ったぞね。有り難いことです。」とのお言葉でしたが、すでに二十一日間を過ぎ今日で四十日近くになりますよと申したところ、
お爺さん曰く「行者さんに誠に申し訳ない が、たいそう不思議なことが起こったのじゃ。行者さんより教えて貰って翌日より行ったり休んだりして十七回のお参りを三十日間かけてやりましたがちっとも痛みがおさまらんでした。
医者を変えて診てもらいましたが良くならんので三十日目あんたの所に電話をしてみたら、いとも簡単に二十一日でしたとの答え、あの行者さんもまんざらでもないなーと思い残りの四回を七日かかって昨日ようやく二十一回目のお参りを終えましたのじゃ。
昨日の夕方は二十一回行ったのに同じ様に痛く、あの行者はやっぱり口からでまかせを言ったのじゃったろうかと思いました。
今日は夕べからの団体のお遍路さんがお立ちになった後、夜具や後かたずけなどを一日忙しくしてやっと落ち着いたところです。そしてふっと足の痛いことを思い出して、そういえば今日は一日ぜんぜん足の痛い事に気付かなかったなと思い、恐る恐る足の痛いところに手をやって揉んでみたら痛く無くなっています。
こりゃまあ不思議なことよと思いながらも、行者さんには先日大変失礼なことをしちょるし、また、お礼も申さねばならんと思いこうして電話を掛けました、との事でした。
私も本当に有り難いお話を聞きお爺さんといっしょに喜び会いました。きっと御本尊様がお爺さんを使って私に教えて下さったのだなーと心より感謝しました。
三ヵ月ほどして私はまたお四国の修業に出ました。 途中お爺さんの宿に立ち寄ったら、どうでしょうお爺さんまたびっこを引いています 。
お爺さんまだ足が治っていなかったのだなと思い一瞬ドキッとしましたが、お爺さんニヤニヤしながら「足が違いますよ。前は右足で今度は左足の膝じゃ。膝へ水が溜まって痛い。水を抜くといいのじゃが人の言うにクセになると言うきに、行者さんが近い内に来るといっておったので待っておりましたのじゃ。」との事。
私も随分としつこく足へ色々と仏様よりお知らせがあるものじゃなーと内心思いました。そしてお爺さん曰く「行者さん、今度の左足の痛いのは何の原因ぞね?仏様にお伺いしてみて下さい」との事でした。
私もとても良い勉強させて頂けると思いお大師様にお伺いしてみましたら、有り難くもお答えがありました。『爺さんの今度の左足の痛いのは、右足が痛くて普通の仕事量が出来ない分を手足となり助けてくれたものが家の中に居る。若い女じゃ。その女にこの爺さんはちっとも感謝の心がない。ないから口に出してもねぎらいの言葉、感謝の言葉のひとつも出ん。それが原因じゃ。』とのお言葉にてお爺さんに伝えますと、
「誠にそうじゃ。息子の嫁が、お遍路さんがたくさん泊まってくれた折りは仕事に行きゆうがを休んで手伝ってくれよった。そうじゃそうじゃ。」 との事でした。
「そしたら、誠にすまんことじゃが仏様にどうしたら感謝が届くかお伺いしてみて下され」と、またお爺さんに頼まれたのでお大師様にお伺いしてみました。お大師様からは『爺さんに申せ。今度はお寺へ三日行け、けれどもこの度は御本尊様に深々とお参りして自分の真心をくみ取ってもらわなければならない。御本尊様のお情けを賜れるなら、その功徳を息子の嫁(名前と数え年を申せ)に廻して頂く様お願いし、嫁に対する感謝の心が無かったことをお詫び申せ』とのお言葉でした。 お爺さんに伝えますと、ハイハイ参りますとの返事でした。
三ヵ月後、また修業の道中立ち寄ってみましたところ、とても元気そうで足も痛そうでありませんでした。
左足のことを聞いてみると、「三日間お参りしてみたらすっかり良くなったぞね。有り難い不思議なことです。」とのお答え、チョッピリ私も心配していたので電話でもっと早く報せてくれれば良かったのにと言うと、お爺さん曰く「行者さんは何でもお見通しじゃろうと思って電話せなんだんよ」との返事でした。誠にちゃっかりした爺さんだなーと思いました。
合掌
この女性は、幼い頃に両親が離婚したため、母方に引き取られて成長され結婚しました。
この女性は、幼い頃に両親が離婚したため、母方に引き取られて成長され結婚しました。 一人目の子供さんの折は、まだ私とは御縁がありませんでしたが、つわりがひどくて、始まった頃から出産の日まで入院されたそうです。それで、もう二人目の出産はいやだと御主人に言っておられたそうですが、一人目が女の子だったので、御主人はどうしても男の子が欲しいとのことで、女の子が三才になった頃、二人目を妊娠されました。やはり前と同様につわりがひどくて、自宅に居ることができないほど体調が悪くなり、幼い子供と御主人を残して入院しなければならなくなりました。もちろん御主人には仕事があり、一人で子供の面倒を見るというわけにはいかないので、奥さんの母親の両親(奥さんの祖父、祖母)に、二人の日常生活の世話をしてもらうことにしました。私はこのお爺さん、お婆さんと知り合いで、孫娘の家に出発しようとしているところへ通りかかったのです。
「どこへいくの?」と声をかけると、前述の事情で出かけるところだとのことで、「君とは六ヶ月ほど会えないねえ。」と話され、私も、「お爺さん、お婆さんに長く会えないと寂しいねえ。」と答えました。《そうだ、ひょっとしたら、つわりがひどいのも何か原因があるのではないか。仏様に救っていただけないものか。》と考えて、南無大日大聖光不動明王様(以下御本尊様)に御伺いしましたら、次のようなお知らせを頂くことができました。『この奥さんは、幼い頃に別れた父親に感謝の気持ちがない。どのような事情で別々に暮らす縁になったとしても、父親が娘のことを忘れるはずはない。会えなくても、心配してくれている。また、父親がいなかったら、今の世に生まれてくるはずもなく、好きでいっしょになった人とも会えず、苦しいお産の後で、どんなにかわいいと思ったであろう子供にもめぐり合うことはなかったはずだ。そして、人間として生まれるには、木の股から生まれることはない。父親と母親が有り、親の親が有り、そのまた親が有る。皆が子供の幸せを願い、孫の幸せを願い、死んだ後も案ずるものだ。その両方の恩に感謝が薄いので、苦しまなければならないのだ。先方に行ったら、近所の寺で良いから、髪の毛を剃って、日々修行に勤しむ僧のいる寺へ行き、先祖と父親(昔の所にすんでいる)の供養感謝、幸福祈念の法会をしてもらいなさい。お布施は、少し多めに持って行くように。それが実行できたら、必ずつわりも治まり、入院せずに、元気で出産の日を迎える事ができる。』というお知らせでした。
それで、お爺さんとお婆さんに伝えたところ、「それは本当にいいことだ。あの子はそんな教えを受けていないので、思った事もないだろうし、したこともないだろう。先方にいったら、必ずさせて頂く。」と言ってくれました。「それじゃあ、また近々会えますね。」と別れたことでした。
十日ほどして尋ねてみましたら、お爺さんお婆さんは帰ってこられていました。私の顔を見るなり、「君のおかげで、孫娘は嘘のようにつわりも治まって、元気になったので、近くの温泉に数泊して帰ってきたところだ。」と言うことでした。 「あんたの言う通り、先方にいって、孫娘夫婦に話をすると、”それはとてもいい事だ。 気が付きませんでした。”と孫娘の主人が言うので、翌日、近くの寺を調べた。すぐ近くに禅寺だが、御本尊様の条件に適うお寺があって、早速電話で頼んで、翌日、孫娘の主人と會孫と私達二人でお寺にいって拝んでもらいました。少し多目にお布施させて頂いたら、 二人も僧侶が出座して拝んでくれて、何となく有り難く感じたよ。翌日になると孫娘のつわりがなくなって、孫の主人共々ビックリするやら・・・。一同で君に感謝を申したよ。」と言ってくれました。
私には感謝の心だけで、口でお礼を述べられただけでしたので、心の内で少し《あれれ》とは思いましたが、《いや、本当にいい勉強を御本尊様がさせて下さったのだ。》と思い直しました。 そして当寺に帰り、お礼の報告をお唱えさせて頂きました。
この奥さんのつわりの苦しみを、今の医学では治す事ができないのに、どの様にして仏様はお救い下さるのか、治して下さるのか、目で見えるならどんなにいいだろうかと思いますが、皆様もいかがでしょうか。
この話のお婆さんに、後二回も不思議な体験で勉強させて頂きました。
次のお話にてお伝えさせて頂きます。
合掌
上記の話より一年くらい後で、お爺さんより、「お婆が毎年、年に三回、三ヶ月おきに、ひと月の間、必ず腰痛になって困っているが、何とかならんじゃろうか。」と頼まれました。
上記の話より一年くらい後で、お爺さんより、「お婆が毎年、年に三回、三ヶ月おきに、ひと月の間、必ず腰痛になって困っているが、何とかならんじゃろうか。」と頼まれました。
私もお婆さんが、ひどい腰痛に苦しんでいるのは、何回か見て知っていました。一度腰痛が起こると二週間近く、自分で立ってトイレに行くこともできない程の痛みがあって、回復に一ヶ月くらいかかっていました。
御本尊様にお伺いさせて頂きましたら、お知らせ頂きましたことは、『四国巡拝せよ。 出発日時は、わしの指定した日時に出発せよ。本人達の都合は認めない。いやなら止めにせよ。』とのことでした。 今回は原因、因縁を申されませんでした。
御本尊様の御心なので、お知らせ通りをお爺さんにお伝えしましたが、色々なお救いの手立てがあるものだなあと勉強になりました。 お爺さんは、お婆さんと家族に話してみると申されました。
数日後、お爺さんより先日のお四国巡拝の件、よろしく頼みますとの事で、御本尊様に申し上げましたところ、お知らせに、なんとお婆さんの腰痛がやっと良くなってきて、自分でトイレに行け出した日から、三日目に出発せよとのことです。
お知らせを自分で考えると、とても無理な事だなあとは思いましたが、いやいや御本尊様がお考えになって、総てがよくなる方へ導いて下さるのだからと、お爺さんにお伝えしました。
お爺さんもびっくりしておられましたが、夕方に電話があり、御本尊様の仰せの通りにさせて頂くとの事で、翌朝5時に車で出発しました。
一番様から巡拝させて頂きました。お婆さんは、普段よりは少し元気がないような感じでしたが、一日、二日と無事に巡拝が進んで行きました。
十四番常楽寺様をお参りして、池のそばにとめていた車に帰り、発車しようとした時、車の内から土手沿いに、お婆さんが塵を捨てようとしたところ、私にお大師様よりの御声が聞こえました。 『婆に申せ。きれいに掃除されている所へ、お前が塵を捨てれば、後々のものがついついつられて捨てて行くぞ。仏様やわしは、どこに行っても見ておる。この土手が塵捨て場になれば、総て一番最初に塵を捨てたお前の責任ぞ。この罰をお前が受ける事になる。それでもいいなら捨てて行け。』とおっしゃられたので、すぐお婆さんに伝えました。
するとお爺さん共々、「そうじゃ、そうじゃ。長い年月ついつい、他の人々も多くがポイポイ捨てているので、深く考えてみる事もなかった。すまんことじゃったなあ。」と、すぐ、スー バーの袋を広げて、塵を入れるようになりました。
一回目の巡拝では、この他には不思議な事は起こりませんでしたが、お婆さんは、巡拝 の日々が過ぎるとともに、元気になられて、無事成満させて頂きました。有り難い事でした。
後日、お爺さんの申されるのに、「出発の日時の事では、お婆さんや家族と随分論議したよ。けど、最後はお婆さん次第ということになり、お婆さんが、”御本尊様のおっしゃる通りに出発させて頂く。けど、途中で自分でダメだと思ったら、教生さんには悪いけど、巡拝を止めさせて頂く”と言う事になっていたのだが、有り難いお陰を頂けたよ」と、礼を言って下さいました。
この巡拝が終わって後には、三ヶ月おきに定期便のように、必ず起こっていた腰痛が、起こらなくなってしまいました。 このお婆さんの場合、何がよかったのでしょうか。お四国さん巡拝、お供え、御経の功徳でしょうか。
また、十四番にてお大師様より御導き頂けた《塵を捨てるな》とのお知らせを、直ちに実行に移したのがよかったのでしょうか。
今回も前回同様に、一年経っても御本尊様へのお礼はありませんでした。
それから二年程後、昭和六十年の秋頃にこのお婆さんは左肩が痛くなって、左手が充分に使えなくなる病になりました。
そして、私に「どのようにしたら肩と腕の痛みを治して頂けるのか、御本尊様にお伺いしてくれませんか。」と言ってこられましたので、御本尊様にお伺いしてみましたら、次のようにお知らせを頂きました。
『この婆は年寄りになっても、自分が世の中の総てに中心でありたい。また総ての事は、自分でやっていると思っているが、とんでもないことだ。幼いころは年上の大人が見てくれ、青年の頃は社会に貢献するが、年寄りになれば、長年の経験は、社会の役に立つ事は多いが、ほとんどの事は、若い人の世話になって生きていけておる。家庭においても然りじゃ。この婆は逆行しておる。その心の思い、念が口や態度に表われて、若い者にいやがられている。終いに、若者の念が最上の苦しみになってきたならば、婆が、家庭の仕事の 一部をして若者が助かっていても、手伝ってくれなくてもいいと思われる。もっと強く苦しく思い出すと、病気にでもなってくれたらいいのにと思われ出す。今日のこの婆に対しては、若者が最上の苦しみの念に近づいている。最上に到達したならば、仕事ができなくなる病になる。日頃よく信心するので、肩の痛みで知らせてやっているのだ。婆が心を改めて、若者に感謝して暮らしていくようになれば、苦しい病にならねばならない定めから逃れることができる。考え方を変えて、日々の行動を見直してみることを勧めてやれ。』とのお知らせでした。
お婆さんにお伝えしましたら、お婆さんから直ぐに返答があり、「教生さん、本当に御本尊様がそのように言われたのかね。私には、あんたが考えて言っているように聞こえる。 まあ聞いて。」と話し出しました。
「私は、朝早く目が覚めるので、家族の洗濯をしてやっている。また、食事の後に、食器を洗ってやっている。これだけでも、どれほど嫁は助かっているか。それなのに、感謝の 一言もない。この嫁が悪くなくって、なんで私の方が悪いのかね。嫁に、総て、へりくだっていなければならないのかね。あんたももっと考えて、物言わんといかんぞね。」と話されて、大変立腹している様子でした。
横で聞かれていたお爺さんも、同じようなことを言われました。私としては、自分の考えではないので、どうしようもなくて、「そんなに受け取られては、どうしようもないねえ。まあ、気をつけて下さい。」と言うしかありませんでした。
一週間後に、お爺さんお婆さん二人揃って、次のように言われました。「教生君、私達の昔から知っていた祈祷師に、二日行って、痛い肩を加持して、撫でてもらったら、こっとり痛みが治ったぞね。あんたも、治してから言ったらどうだね。」ということです。
御本尊様にお伺いしてみましたら『しょうがないのう。婆が心を改めて、実行に移しだしたら、少しづつ治っていくのじゃが。もう、何も言わないで見ておれ。』とのお言葉でした。
それから三ヶ月後、お二人の家を訪ねると、一週間くらい前に、日頃血圧も高くなかったので用心してなかったのに、お婆さんは中風になって家で倒れ、意識がなくなって入院したとの事でした。
早速お見舞いに行きましたら、お爺さん、ばつが悪いような顔をしておられましたので、私は過日の左肩痛の折の事には触れずに、お見舞いを申し上げて帰りました。 お婆さんは、左半身が不自由になってしまいました。
一年半程経って、少し体を支えてもらうと歩けるようになりましたが、リハビリに行けるようになったと思ったら、よろけて倒れてしまい、腰の骨を折って寝たきりになりました。
六年後、他界されるまで、ずっと寝たままで、付添い婦さんの世話になり、嫁さんには世話にならずじまいでした。 お婆さんは、毎月血圧も計り、高血圧でもなかったのに、わからないですね。
不思議でしょうがないです事ですが、御本尊様には、どのようにして私達の未来がわかるのでしょうか。また、いつまでも不死身ではいられませんが、私達の心掛け次第では、運命の終わりの日まで、幸せに元気に生きて行けるのかもしれませんね。
お婆さんも自分流に、年を取ってからの自分の暮らし方の中道を決めておられたようですが、まことの中道よりずれていたのでしょう。残念でした。
お婆さんは、初めは左肩が痛くなり、左に災難が来るぞとのお知らせでしたが、結局私を信じてもらう事ができないばかりに、御本尊様よりのお救いにも、御縁を頂けずに、左半身不随になり、人生の老後を元気で暮らさせてもらえませんでした。
お大師様が、《法は人により興り、人によって寂れる。滅びる。》とおっしゃておられますが、情けない私なので、信じてもらえず、尊い御本尊様のお救いを多くの方に素直に受けて頂く事ができないのが、残念です。
真の仏様がお救い下さる折は、私も本当に有り難いなあと思う御慈悲があります。
今回のお婆さんの場合も、年寄りを尊敬し讃えるのはあたりまえの事ですが、年寄りの方が若い家族、若い人達にやさしい、暖かい感謝の気持ちをもつ事ができれば、元気で幸せに暮らせ、家族も仲良く暮らしていけます。
しかし、なかなか難しい事でもあります。頑張りましょうお年寄りの皆様。
合掌
修業を始めて六年目の四月頃だったと記憶しておりますが、私が知り合いのお寺 の月祭りにお手伝いとして参りました時のお話です。
修業を始めて六年目の四月頃だったと記憶しておりますが、私が知り合いのお寺 の月祭りにお手伝いとして参りました時のお話です。
そこの奥さんは右肩の痛みを激しく患っておられ、住職であるご主人や、霊感・お伺い・御祈禱をされる母親に御祈念してもらったり、また自分でも仏様にお願いしたり、針・温泉治療等をされておりましたが一向に良くなるどころか、肩より腕を上げることが、痛くて出来ない状態でした。
何とか良くなる様、私の御本尊様にお伺いして下さいと頼まれ、いつもお世話になっている人ゆえ私は快く承知しました。
御本尊様に事情を申してお伺いしましたところ以下のようなご返事でした。
『この者はこちらの御本尊様(南無高祖弘法大師様)に昨年の暮れごろ収入を増やして頂けるよう祈願しておる。常日頃一生懸命仏様にお仕えし、また働き者なので、この女の願いが通じて収入が増えているはずじゃ。 こちらのお寺は護摩祈念をしておる。その護摩祈念の申し込みが増えたはずじゃ。護摩木に姓名・ 祈願文を書かねばならぬが、その役目をこの女がしている。祈願者が増え収入も多くなっているにもかかわらず、そのことについてちっとも感謝せず、ただ忙しい忙しいと周りの者に愚痴をこぼすことしかしない。それ故、おさとしがあったのじゃ。』 そして御本尊様は今申したことをこの女に尋ねてみよと私に申されました。
このことを奥さんにお伝えしたところ、恥ずかしそうな顔をして言うには、「確かに昨年の暮れごろ、お大師様にお金のことでお頼みしたことがあります。」とのことでした。収入も増えたのにお大師様には何にも感謝をしなかったと誠に申し訳なさそうな返事でした。
それで、どうしたらお許し頂けるのかと申されたので御本尊様にお聞きしたところ、『三日でよいからお大師様にしっかりお詫びを申し、自分の願いをかなえて下さったことに対し深く感謝を申して見よと。』とのお言葉でした。奥さんにお伝えしたところ、さっそく実行いたしますということでした。
私は翌月の月祭りのお手伝いに参り、奥さんにお会いしてみると、どこも痛そうなふうには見えず、驚くほど元気に働いていました。
私も黙っていれば良かったのですが、つい、御本尊様のおっしゃった通り三日間お参りされたかと尋ねてしまいました。すると、先月の肩の痛い時の態度、言葉使いとはとても思えぬ程無愛想で「三日お参りしたらすっかり良くなりましたよ」と、まるで見て分かっておるじゃろうがと言わんばかりの返事でした。
以来、月祭りには行っておりません。
今考えますと奥さんの気持ちも判らないこともありません。
ご主人のお母さんも霊感師をして随分人助けをなさっております。このお母さんに肩痛を頼みなさったのに良くならなかった 、そして、若年の私にいとも簡単に原因を指摘され、かつ痛みが治ってしまったのです。
この事がお寺に来ている信者さんに知れると評判が落ちると思い、つい私に対し排他的な態度になってしまったものと思います。
自分の修業の足りなさを痛感するとともに良い勉強をさせて頂きました。
合掌
この奥さん(以下Tさん)は、高知市より二十七キロメートル位東方の町に住んでおられました。私がこの町の真言宗のお寺で、一時住職代理をさせて頂いていた折の事です。
Tさんの御主人が癌になり、抗癌剤の治療を受けていますが、何とか信仰の御陰を頂いて助けて頂きたいと訪ねて来られました。
一日目は何事も起こらずに、御本尊様より色々とお導き頂けまして、後日もう一度祈願書を持って来るようにとの仰せで帰られました。
数日して約束通り、Tさんは御主人の癌平癒のための祈願書を持って来寺されました。何といってもにわか信心で、深い信仰に関する教えを受けたこともなかったので、祈願書を書くために随分頭を悩まして苦労されたそうです。
寺へ来られて玄関より上がり、廊下を通り、祭壇の部屋へ入ってくると、どうしたことかTさんは、左肩を押さえて「痛い、痛い」と顔をしかめて苦しみ出しました。「どうなさったのですか。」と尋ねると、「部屋に入るなり、急に左肩がズキズキと痛みだしました。ああ、もう辛抱できません。すいませんが廊下に出させて頂きます。」とおっしゃって、廊下に出ました。すると今の今まで痛み苦しんでいたのに、「すうっと痛みが治まってきました。」とTさんが言うのです。
いやはや不思議なことが起こりました。 私が寺を興して初めてのことです。何か御本尊様よりの御知らせだなと感じて、Tさんに「誠に辛いだろうが、今一度部屋に入ってもらえんかね。」と言いますと、Tさんは、「また痛みが襲って来やしませんか。」と、不安げに恐る恐る部屋に入りました。
やはり、すぐに左肩が痛くなり、「痛い、痛い。」と必死で肩を手で押さえて痛みを堪えています。 私は何が原因なのか、必死の思いで御本尊様に御伺いさせて頂きました。すると御本尊様より『この女はにわか信心なれども、主人のために一生懸命無智な自分を奮い立たせて、努力して祈願書を持ってきた。そして寺の本尊のわしを、未熟者のお前を、一心に信じて参って来たので、主人と共にこの女も救ってやりたいために、左肩に知らせたのだ。』との御言葉がありました。
御本尊様に、「御主人の後に必ずTさんの左肩についての事を御伺いさせて頂きます。」と申し上げましたら、不思議にもTさんの肩の痛みが止まりました。
Tさんは、「和尚さん痛みが治りました。どうした事でしたろう。今度は廊下に出ずに治りましたのは?」と尋ねられます。「ある訳があって痛くなったのです。御主人の御祈念の後にお話します。」と答えて修法させて頂きました。
Tさんが持って来られた祈願書を読み上げさせて頂きますと、大変苦労して書かれたものだと、心より感じました。この一心が、御本尊様の御心を打たれたものだと思いました。
御主人の祈願を終えて、Tさんの左肩が痛んだ事に移りました。 御本尊様より御言葉がありました。
『この女は誠に純朴な善人ではあるが、家業・家庭の暮らしについては、自我の道を基準にして行動しておる。中道より外れし行動にて、このまま、今少し月日を重ねると、体の左半分に取り返しのつかない大病にみまわれる。その大病より逃れる方法を教えてやる。
この女は年下のもの、特に息子の嫁に対して、《私が手伝ってやっているので、あんたは楽にできているだろう。それなのに、感謝の言葉、態度がない》と心で不足を持っておるが、それは大変な間違いぞ。
息子の嫁は、《自分が楽をしたくて手伝ってくれと頼んでいない。この女は年を取って、他に趣味がないので元気な体をもてあそんで、自分から進んで家業を手伝っている。》と思っている。若い者は年寄りに店に出てもらいたくないが、それを言うと家庭が壊れるので、心で思っても口には出さない。そのいやだなあと思う念が、今どれだけになっているのか、左肩に知らせてやったのだ。
真の信仰心のないものは、病や災難が降りかかってきても事前に知らせてもらえず、また救ってもらえず、最悪の苦となって初めて現れてくる。重ねて言う。嫁に手伝いさせてもらえてありがとう、ありがたいと思って、今日より暮らしていくように。心の基準を変えて暮らしていけたならば、左半身に降りかかってくる大病に苦しむことなく済む。』と教えて下さいました。
Tさんに伝えましたところ、「そんなあ。嫁さんに私が感謝していかないとダメなんて、 ヘーえ、初めて聞きました。」と御本尊様の御言葉が、理解できない様子でした。「御知らせ頂いた左肩の痛みを思い出して、良く考えてみてください。自分の長年の考えの基準でもって今日まで来られたのだから、何かお諭しがなくては誤ちとは考えられないので、 御本尊様が痛くなされたのですよ。今日これ以上いくら話しても、すぐには納得しないでしょうが、お互い自分の徳を包み隠して、相手のよい所、徳を称えて暮らしていく事はとても良い事ではありませんか。家庭が明るくなりますよ。」とお話して帰って頂きました。
一ヶ月後、再び Tさんにお会いすることがありました。
「あの日より100パーセントとはいきませんが、考え方を変えるように努力をして暮らし出しましたところ、先日墓参りの帰り道に自転車で溝にこけました。左の方からこけましたが、大怪我にはならずに済みました。いっしょに行っていた若い者が、これは年寄りがこんなに派手にこけたらただでは済まないと思ったそうですが、有難いことでした。この日より、御本尊様のお言葉が心に深く染みました。本当に、本当にありがとうございました。」と嬉しそうに、お礼を言われました。
私も心より嬉しく思い、御本尊様、南無大日如来様の御徳、御力のすごさに感謝いたしました。
私ごとき払い罪にも匹敵するような者ですが、尊き御教えを賜り、偉大なる法界の不思議を Tさんの左肩にて見せて頂き幸せ者です。
どうか世の皆様方、この話を読んで下さった方々、自らの色々な事柄に対しての考え方、思い方の基準が誤っていないか、今一度深く御思慮なされて、言葉や行動を直して幸せにお暮らし下さいませ。
何事も、原因なくしては起こりません。
合掌
昭和58~59年頃の話です。
昭和58~59年頃の話です。私の知人女性○さんの紹介で、Sさんという方から、「四国巡拝に連れて行ってもらいたい。」と、Sさん宅で話を聞きました。
Sさんの話は、「主人と仲が悪く、互いに言い分はありますが、互いにいい年になったので、別れるところまでもいかず、できたら老後仲良く穏やかに暮らしたいと思うようになりましたが、顔を合わすとどうしても言い争いになります。仏様におすがりし、 仲を取り持っていただけいるようにお願いして巡拝したいという思いが強くなっていますが、私は長年便秘で苦しんできました。最近は便秘がますますひどくなり、半月続く状態でヒマシ油を飲んで排便しています。
《教生さんに連れていってもらって、大変有り難いおかげを頂けた。》とOさんから聞いております。私は身近な方と車で八十八か所を一回を三泊四日ぐらいに分けて、 数年かけて巡拝させていただいておりましたが、願いがかなうまでには至りませず困っていました。こんな体調の私ですが、教生さんの十日間ぶっ通し で八十八ヵ寺巡拝する遍路を、無事にできますでしょうか。」とのことでした。
御本尊様 南無大日大聖光不動明様にお伺いしましたところ、何と『楽しく行かせてやる。』とのお言葉を頂きましてSさんに伝えました。
Sさんは私とは初対面でしたし、私のこともよくわからないので、「これほどのキツイ便秘で楽しく行かせてやる。」なんて、心の底から信じることはできなかったそうですが、《えーい、途中で苦しくなればやめたらいいや。》と思っていたそうです。「どうぞ よろしくお願いします。」と言われました。
数日後、紹介者のOさん、Oさんの知人、Sさんの四人で、一番霊山寺(りょうぜんじ)さんより出発しました。Oさんは出発二日前にヒマシ油で排便されたそうです。巡拝の途中、私のお寺に泊まっていただきました。便秘が始まって四日目ということで食事は腹八分目くらいにされておりました。私は《御本尊様はどのようにして楽しく行かせてくださるんだろうか。》と思っておりました。同行の方も同じ思いだったそうです。
それからお参りを進めて、三十一番竹林寺さんに参拝しました。 本堂でお参りし、大師堂で一同お勤めを始めました。お経が半分ぐらい進んだときSさんがいないことに気付きました。先達(せんだつ)の私がやめるわけにもいかず、他の方とお勤めを続けました。
お参りが終わって、「Sさんがいないがどうしたことだろう。」と聞きましたらOさんが、「彼女途中でフッといなくなりましたよ。」と言われます。《まあ六十の歳(とし)やから迷子にはならんだろう、Sさんもお四国は初めてではないので大丈夫やろう。》と、Sさんを残して駐車場に向かいました。
駐車場に数歩入ったところ、前方のトイレからSさんがニコニコしてこちらへ向かってきます。私はその顔を見まして、《ひょっとしたら薬も飲まないのに排便があったのでは。》と思い、「出ましたか~~。」と、大きな声で尋ねると、Sさんは両手でVサイン をして、「スッキリするほど出た~~。」と本当にうれしそうでした。一同このときはあまりの不思議な出来事で言葉が出ませんでした。
次のお寺に向かいながら車中で、「よかったねえ。よかったねえ。」と口々に言っておりました。《翌日はどうなるかなあ》と案じておりましたら、四十二番さんか四十三番さんでしたか定かではありませんが、前日と同じぐらい排便されたのです。
その次の日も午後三時ごろ五十八番仙遊寺でまたまたスッキリするほどの排便をされました。
三日連続のこの奇跡にさすがのSさんも感激し、私に、「貴方様のお寺はどちらの方角ですか。御本尊さまにお礼を申し上げなければ。」と、私の指した方向に一心に合掌していました。「後日メロンでもお供えします。」と、言っておりました。
翌日は六十番横峰寺。湯浪ルートは四国巡拝一、二の難所の登山通路です。六十一番様に泊めていただいた夜、Sさんはおなかいっぱい夕食を食べ上機嫌で、「明日は元気いっぱいでお山に登れる。」と喜んでおりました。
一同は誠に余りの御本尊様の仏徳に驚愕(きょうがく)して言葉もなく、ただただ「よかったねえ。よかったねえ。」と言い合うことしかできませんでした。私も冗談に(少し本気で)「私のお寺はこれで便秘寺といって繁盛するよ。全国には便秘の女性はたくさんおるから。」と、浮かれておりました。
翌日、六十番さんに一同無事元気で巡拝させていただきましたが、Sさんは排便がなかったようです。 翌日も翌々日のお四国最後の日も排便がなかったようでした。
これで便秘寺としての繁盛も夢となりましたが、八十八番さん大師堂で、Sさんから涙涙に「本当に有り難くも夢のような楽しいお四国巡拝をさせていただきました。 」と、お礼を言っていただきました。 Sさんは、「出発時には疑いの心・不安な心でした。誠に御本尊様に申し訳ないことでした。」と反省され、よろこんでおりました。
Sさんはお四国のあとは、四日か五日で、長くても一週間以内に排便するようになったそうです。 “楽しく行かせてやる”との御本尊様のお言葉通りになったのです。
「お四国のあと、主人が別人のようになっていて言葉も優しくなり、いろいろと気配りをしてくれるようになって、 便秘に良いとヨーグルトを買ってきてくれるようになりました。」と、チョッピリのろけを言われました。私はその後時々Sさん宅の近くを通ると、家を訪ねておりました。御主人と本当に仲良くなり、Sさんのために家の改築・ エアコンの取り付け等々、いろいろと良くしてもらえるようになっていました。
Sさんにとっては、お礼参りのためのお四国だったのかどうかわかりませんが、二年後Sさん・Sさんの知り合いの方とお四国巡拝しました。
このとき、前回教えていたお参りの仕方がすっかり自己流になっていましたので、初日から何回も指導注意しておりましたが、「私はずっと自己流でいい。」 と言われます。でたらめなお参りではたくさんの功徳をいただけないので、 私はこのような方とお四国には余り行きたくないのです。
三日目の午後お大師様にSさんのことを申し上げますと『この女には言わないで良い。構うな。』とお言葉があり、このあとは注意することをやめました。
この日も最後のお寺にお参りに行くとき、Sさんが近寄ってきて、「教生さん、今日午後から私に注意されることをピッタリやめられたみたいやけど、あほらしくなったのですか。」と聞かれましたので、「お大師様の、『この女には言わないで良い。 構うな。』とのお指図で、あんたに言うのをやめたのよ~。」と、伝えますとSさんは、
「前回もまことに不思議なおかげ、教生さんが言われたとおりになった。教生さんはお大師様がおっしゃると、皆さんに注意・指導されているのやろうけど、どうしても私には教生さん自身が言っているようにしか思えなかったの。だけど今日は誠に教生さんがお大師様のお言葉を聞かれて言われているんだなあと心より分かりました。」と言われるので、Sさんに、「何で今日わかったのかね。」と尋ねると、Sさんはニコニコしながら、
「実は今回は初日から三日目までズーッとお大師様に、《私は自分なりの信心でいいのでおかげが少なくても構いません。教生さんに私に注意・指導しないように言ってください。》と、お願いしてきたの。そしたら午後からピッタリ言われなくなったでしょ。それで今お聞きしたら、お大師様は言わんでもいいとおっしゃったとのこと。教生さんはやっぱりお大師様よりお言葉をいただける人だとわかりました。疑いの日々誠に申し訳ないことでした。」と話されました。
結局このSさんは翌年、当寺の同行さん何人かに電話し、「皆さん、信仰は自分の考えでしたら良い。教生さんに言われた通りしなくてもいい。やめなさい。」と言わんばかりに話したそうです。この日から私もSさん宅には行っておりませんし、先方よりも何にも連絡もありません。
Sさんも御主人とのことでは最高に苦しんでおりました。自分ではかなり信心していると思っていたようですが、如何(いかん)とも願い叶(かな)わず私にすがってきたのでした。
しかし他に、息子さんのこと・息子さん家族のこと・自分のことに対して仏さまは大学病院のように根ほり葉ほり原因を掘り出し注意されます。 そのことがよほど嫌だったのでしょう。 私もこのような方が多く出るのは自分のせいだと反省しております。
このことを仏さまに申し上げましたら『最高の苦しみに至った者を助けたら良い。チョッピリ良いことがあったからといって、その後何回もお前が自分で足を運んでいくからいかん。待つのジャー。日本中には最高の苦しみに、もがいておる者も多く居る。おまえがしょうもない小さな悩みに没頭しているから、大きな悩みの者が来ることができない。』と教えていただきました。
Sさんから電話があった同行さんは数年後やめていきました。やめていった方も心の奥底で、私に対してSさんと同じ思いになっていたのでしょう。 同じ心なので電話しやすかったのでしょう。誰も悪くなく私が未熟なために起こったことです。
当寺の御本尊様は御祈祷(きとう)ばかりではないのです。人間性を変えないと救っていただけないことが多くあります。また、人間性が良い方に変われば、自然と幸せになっていけるのです。そうでしょう 皆様方。
合掌
大地山 教生寺